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去る7月10日、ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子先生の講演会が行われました。演題は「現代の忘れもの」。講演時間90分。参加人数は800名。宴会礼拝としては過去最大規模となりました。
黒いベールに純白の礼服、胸から大きな十字架を下げている渡辺先生が会堂に入場すると、自然発生的に客席から歓迎の拍手が湧き上がりました。
はじめに、聖歌229番『おどろくばかりの(Amazing
Grace)』を会衆全員で歌った後、カルバリーアンサンブル、カルバリー聖歌隊による特別賛美、J.S.バッハ作曲『ミサロ短調BVW232より「キリエ」』が演奏されました。
「ミサ」というのはカトリックの礼拝を意味する言葉で、「プロテスタントのバッハがなぜミサ曲を?」と多くのバッハ研究家や宗教家が疑問を持ちましたが、バッハはクリスチャンとして最期を迎えた時に、宗派を超えた普遍的で超越的な信仰の世界を打ち立てたかったのではないか、というのが一般的な見解です。そういった意味でも、今回の講演会に最もふさわしい曲といえます。
演題となった「現代の忘れもの」について、渡辺先生は講演の中で次のように語りました。
「私たちは“生きる”ということを大切にしておりますけれども、もしかすると“よりよく生きる”ということを忘れているのかもしれない。それが現代の忘れものとしてあげられると思います。毎日の生活の中で今日よりよく生きるために私たちが持ちたい心は、待つことができる心、思いやる心、自分を大切にする心です。」
また、毎日90人以上の人が自殺しているという日本の現状に触れ、ご自身の体験を語られました。
「私は今から30年ほど前、心にかぜをひきました。早く言えば、うつ病になりました。そして2年、苦しい日々を過ごしました。その時、カトリックのお医者様が、うちひしがれている私にむかって『シスター、運命は冷たいものですけれど、(神の)摂理は温かいものですよ』と仰ったんです。ちょうど50歳くらいで、(清心の)学長になって14年経っておりまして、少し仕事が面白くなっていた時で、なぜ自分がこういう病気で苦しまなければならないのか?と神様に向かって不平を申し上げたこともございました。でも今になってやはりあの時に病気をいただいたのは運命ではなくて摂理─神様の温かいお計らいだったのだ、あれが神様の時だったのだ、ということがわかるようになりました。
“時”という言葉はギリシャ語で『クロノス』と『カイロス』の2つがございます。『クロノス』という時は、今こうやっていても刻々と過ぎて行く、移って行く“時”でございます。それに対して『カイロス』という時はある1つの時、それは神が見て一番ふさわしい時です。旧約聖書の中に、慰めになる言葉がございます。」
何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。/ 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時 /
殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時/ 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時/ 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時/
求める時、失う時/保つ時、放つ時/ 裂く時、縫う時/黙する時、語る時/
愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時(旧約聖書.コヘレトの言葉─伝道者の書3章1節~8節.新共同訳)
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(旧約聖書.伝道者の書3章11節.新改訳)
また、プロテスタントの牧師で保育園の園長をしていた河野進先生が渡辺先生をとても可愛がり、書いてくださったという詩を紹介されました。
病まなければ/聞き得ない慰めのみ言葉があり/捧げ得ない真実な祈りがあり/感謝し得ない一杯の水があり/見得ない奉仕の天使があり/信じ得ない愛の奇跡があり/下り得ない謙遜の谷があり/登り得ない希望の山頂がある(『病む』河野進)
「ですから、病むということは決して歓迎することではありませんけれども、病まなければわからないことがたくさんあるんですね。そして、この詩の中の『病まなければ聞き得ない御言葉がある』、それを私は心のかぜをひいた時に実感しました。それはやはり、私達がつらいことや苦しいことに遭った時に、その奥深くに潜んでいる神の愛というものに信頼して、笑顔で“きっと良くなる”と信じて生きることを教えてくれるのではないかと思います。神様は私達の力に余る試練は決してお与えになりません。」
また、世界中で今も愛されているマザー・テレサとの想い出も語ってくださいました。
「マザー(・テレサ)が日本に3回ほどおいでになって、岡山においでになりました時に、私が通訳をさせていただきました。お側に使えて、私共の修道院にお泊めしたことがございます。私共(ノートルダム清心)の学生達にも話をしてくださいました。
学生達は本当に純粋な心を持っておりますから、お話の後に『シスター、マザーのところにボランティアに行きたい、受け入れていただけるかどうか伺ってください』と申しました。私は『学生がこんなことを申しておりますけれども、受け入れてやっていただけますでしょうか?』とお聞きしたところ、本当に嬉しそうに『ありがとう。でも、わざわざカルカッタまで来なくても、周辺の“カルカッタ”で喜んで働く人になって欲しいとお伝えください』と答えました。
私達はカルカッタに喜んで行こうとしていながら、自分の家に帰って寂しい思いをしているお年寄りに優しくしているかどうか。夫と妻、親子の間でいたわりの言葉、『おかえり』『ただいま』『おやすみなさい』『おはようございます』、そういうなんでもない挨拶を交わしているかどうか。よそへは喜んで行く。ボランティアとして災害のあるところへは飛んで行く。障害をお持ちの方達、介護を必要としていらっしゃる方達の施設には喜んで行く。でも、果たしてその同じ人が自分の家で毎日会っているお互い同士の間の優しさというものにどれだけエネルギーを使っているのか。案外私達は忘れていると思います。
“チャリティー・ビギンズ・アット・ホーム”という言葉がございます。本当に思いやる心を持っているなら、まず家庭から始まらなければならないと思います。マザーがその時私共の学生に言ってくださったことは、わざわざ時間をかけてお金をかけてカルカッタまで来なくてもいい、まず自分の周辺のカルカッタ、淋しい思いをしている人を置き去りにしてカルカッタに来てもそれは本物ではありませんよ、ということです。」
90分にわたる講演会が終了した後、なんと渡辺先生たってのご希望により、そのまま来場者との握手会があり、ほぼ全員が渡辺先生と直接お話をすることができました。
おりしも、今年の夏は、マザー.テレサの映画が公開されます。この世界に興味を持たれた方は、是非映画の方もご覧ください。
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