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 このページでは、学生たちの体験談をご紹介します。
どうして教会に行くようになったのか  K君

 どのような家庭環境で育ったのか?

 代々神主の家系であり、現在も父親が神主です。大きな神社にサラリーマンとして勤めながら、自分の家にある神社の仕事もしています。家族は自分以外皆神道を信仰しています。自分もクリスチャンとして洗礼を受けるまでは何の疑いもなく、家族と同様、神道による価値観・生活習慣の中で過ごしてきました。自然界に存在するあらゆるもの、また特に、既に死んでいる先祖を神として拝み、それらのものが現在の自分の生活に影響を及ぼし得る何かの力を持ったものとして拝まなければ、ばちを当てられるという価値観の中で生活してきました。そしてそれに対して特に何か考えるというのでもなく、当たり前のことだと思っていました。       

 どうして教会に行ったのか?       

 そのような中で、どうして教会に行くようになったのかといえば、初めてのきっかけはたまたま見つけた(今思えばこれらも神様の導きです)キリスト教のラジオ放送を聴き始めた事です。高校3年の時でしたが、進路について考えていてその中で自分の人生の目的、何のために生きるのかや人生の意味、なぜ生きるのかや、などについても自分なりに考えていました。しかし、いくら考えてもその答えは見つかりませんでした。自分の今までの生き方といえば、目先にある楽しさや自分勝手な欲を満足させることだけを目的としたものでしたし、先のことを考えてみても辛い事ばかりが増えて来て結局最後は死んで全てがおしまいなのだと思うと、 生きる希望を全く持てないなあ、早く死んでしまうほうが得なのではないかとも考えるようになりました。そしてそれまでどっぷりと浸かってきた神道の儀式や価値観の中にも、生きる意味や目的や希望を見出す事は出来ませんでした。

 そのように悶々とした状態の中で唯一の心の拠り所は、そのキリスト教のラジオ放送でした。内容の詳しい事は覚えていませんが、そこで語られる話の一つ一つに共感を感じ、慰められ、励まされていました。そして実際に教会に通うようになりました。ラジオ放送と同様に、毎週日曜日の教会でのメッセージや教会の方々との交わりはとても楽しく有益で、出席する回数が増えれば増えるほど、自分にとって無くてはならないものになっていきました。教会に通う中で自分には罪があること、また自分の罪のために命を捨ててまで愛して下さる神様がいる、それがキリストだということを知り、自分もこのキリストを自分の神様として信じたいと思うようになり、洗礼を受けました。

 教会に行って変わったことは?

 自分が生きる目的も意味もはっきりしました。自分は神様の意思で今ここに存在させられていて、何の取り柄が無くても神様によって無条件で愛されている存在であるということです。そしてそのことを受け入れ愛される喜びの中で、神を愛し人を愛することです。それが自分が求めていた人生の意味や目的なのだと分かりました。そしてこの神様に愛されて、どのような状況でも希望を持って生きていけるということは、本当に幸せなことだと思いますし、一人でも多くの人にこの喜びを伝えていけたらなと思います。

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