2006年8月2日メッセージ

第9章 何が神を微笑ませるか。(神の微笑)

人生を導く「五つの目的」世界的な書物であります。全米だけで2千万部ぐらい売れたでしょうかね。大変な書物であります。ここからお勉強を続けております。今日は9日目であります。

第9章 何が神を微笑ませるか。(神様の微笑)

わたくしが勝手に題をつけました。“神様の微笑み”という。
今日は孫の祝ちゃんが午後から来て、今晩泊まってくれますので何度も笑いましたですね。怒った顔、悲しい顔、ご機嫌のわるい顔、誰もそんな顔は見たいとは思わないと思いますね。子供は親の顔をジーット観察しながら生活しているんだと思いますけれど、微笑みのある親のもとで育つと自然に、それが自然のように笑顔が作れるものだと思います。私たちはそういう世界を与えられていることを感謝します。まず、最初の聖書のみ言葉、これはメッセージバイブルですが、詩篇119:135節であります。お読みしてみます。

 「あなたのしもべである私に微笑んでください。私に生きるべき正し
道を教えてください」(詩篇119;135 Msg) 
 Smile on me your servant ;teach me right way to live.(psalm 119:135)

これは英語の聖書ではsmile on me your servant あなたのしもべであります私にどうぞ微笑んでください。smileしてくださいと言う言葉で訳されているのですが、いい言葉ですね。覚えていて下さってもよろしい言葉であるかと思います。
「神様あなたのみ顔を見せてください」。 モーセもそうでしたよね。あなたの慈悲深い顔を見せてください。とうとう神様は、「わたしはその顔をもってあなたと一緒に行くよ」と仰って下さって、わたしたちはその顔を見ると元気になるというようなことであろうかと思いますね。その次、

◇ズバリ!人生のゴールは神様に微笑んで頂くことです。
エペソ5の10=モデルはノア=
「しかしノアは別でした。 彼だけは神様に喜ばれる生き方をしたのです」
(創世記6章8節LB)(創世記6章1〜8節)

面白い言葉ですね。人生のゴールは神様に微笑んで頂くことです。
ズバリ!からご一緒に読んでみましょう。

ハイ!
“人生のゴールは神様に微笑んで頂くことです”。 分かり易いですよね。
今日この時間にですね、どこかのチャンネルで亀田興毅ボクサーの試合をやっている筈でありまして、聖餐式にするか、ボクシングにするか悩んだ人が2、3人、4、5、6人いて、今日休んでいるあの人はきっとそっちだなーと思われている方もおられると思います。また、録音予約をしてこられた方もいらっしゃるかと思いますけれど。昨日でありましたかねー、彼が相手にキューピーのお人形さんを贈って、今度は向こうからですね、おむつと、おしゃぶりか何かが贈られて彼はキレました。 お父さんも激怒して、大変なことになりジダンだったら頭突をする様な状況であったわけですけれども、どうも、あーいった状況というか様子は品格に欠ける所がありますが、僕もボクシングは好きで、小崎先生と一緒に見に行ったことがあるんですよね。一番前の席でテレビに写っちゃって、まずかったよね、アレわね。昔、白井義男とかですね、金子繁治という人は本当に紳士でしたけれど。大人気の選手ですが、どうも子供達の良いお手本にはなれそうもありません。ただ、私が興味を持ったのは、あの亀田兄弟たちは親父さんから幼い時から教えられてきたこと“勝利して世界チャンピオンになって親父さんを喜ばせるんだ”っていう事をあの口の悪い若者がですねえ、繰り返し、繰り返し、言うというのは素晴らしいことだと思いましたね。私の人生は「親父さんを喜ばせることだ」と繰り返し語る若者の姿に。

 私達は天のお父様を、親父さんと言うわけにはいきませんけれど、お父様、イエス様を通してお父さんと呼んでも良いんだ。私達は“アバ父よ”とね。在天の父よ、とそれだって悪くはないんだけれど、もっと親しみを込めて、天の父なる全知全能なる神様を、お父さんと呼んでも良いんだというのです。親子関係がなければそう呼ぶことは出来ないでしょう。でも、そう呼びなさいと言われるのです。イエス様だけが“アバ父よ”とお呼びできるそういう立場をもっていらしたのですけど、私達にそういう霊を下さって、私たちは神様を“お父様、天のお父様” と呼ぶことの出来る様にして下さったのです。私の様に50年間、朝、昼、晩、お父様、お父様、お父様と言っても一度も叱られたことがない。そういうクリスチャンライフを送られるということは、本当に幸せなことであると、そう思います。全能なる神様を“お父様”と呼べる、その特権を喜んでおられる人は、アーメンと言いましょう。アーメン! さあ、聖書を開きますよ

エペソ5章10節であります。 ご一緒に読みましょう。ハイ!
「主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい」

ワー、すごいテキストですね。パウロ先生の言葉であります。神様に、主

に喜ばれるものがなんであるかを、よーく、知りなさいよということであります。プリントには、モデルはノアですと書かれておりますが、今日は旧約聖書の創世紀を少し開いてみたいと思います。聖書の最初の箇所ですが、創世紀6章1節からお読みしてみたいと思います。
 人が地のおもてにふえ始めて、娘達が彼らに生まれたとき、神の子たちは人の娘達の美しいのを見て、自分の好むものを妻にめとった(この神の子たちと言うのは、なかなか理解するのは釈義が難しいんですけれども、まあ、神の子たちと言うのは、天使のことであろうという人たちがいますが、天使が人間と結婚する筈がないでしょうということで、これは、まあ、現代で言うならばクリスチャンのこと、即ち、クリスチャンホームの子供達というふうに表現されていると考えることができる)。 神様を信頼している者たちがいつの間にか美しい女性を見て、ちっとも悪いことではないのですけれども、自分の好ものを妻にめとった。まあ愛せなければ、好きでなければ結婚しては困ると思いますけれども、結局、神様のことを意識しないで結婚が進められて行ったということです。神様がどういう結婚を喜ぶかということよりも、自分の好みにまかせて進めたのです。3節、そこで主は言われた、「私の霊はながく人の中にとどまってはいない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は、(彼の年はと言うののは人間の年はというのですが、)120年であろう」と言われた。新改約聖書は「人の齢は120年にしよう」と訳されている。そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた(ネピリムと言うのは巨人と訳している場合もありますけれど、元々の語源は「落ちる」という言葉から来ているもので、「堕落した者たち」という意味、ネピリムはそう言い意味であろうと言う)。これは神の子たちが人の娘達のところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり有名な人々であった(堕落した人間の姿がそこで描写されてあります)。8節まで読みます。主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりあるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、(まあ、神様が心を痛めて、リビングバイブルはね、心がかきむしられるような辛さですと訳しました)7節、「私が創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。私は、これらを造ったことを悔いる」と言われた。(ご理解くださいますか?大変なことですね)8節、しかし、ノアは主の前に恵みを得た。新改約聖書はこの8節を、しかし、ノアは主の心にかなっていたと訳しているのですが、プリントをご覧いただきますと、なんと訳しているかと言いますと、リビングバイブルの英語版を日本語に訳したのでありますが、「しかしノアは別でした。彼だけは神様に喜ばれる生き方をしていたのです」(創世紀6章8節LB)。 素晴らしい言葉だと思いません?


神様はお怒りになられて、動植物を造られたことも悔いて人間のために造ったのに、人間は自分勝手に好みにまかせて生きていることに対して神様が激怒されて、地上における人間を抹殺しようとお考えになられた。しかし、よく調べてみると、ノアは別人でした。彼だけが神様に喜ばれる生き方をしていたのですという、こういう内容であります。

リック・ウオーレン先生はこのノアから学ぶことで五つの原則。神様に喜んで頂くための五つの原則。これは素晴らしい聖書研究になると思います。

◇神に微笑んで頂くための五つの原則―ノアから学ぶ。
1.私たちが何にも増して神を愛する時、神は微笑まれる。
(創世紀6章9節)(マタイ福音書22章37節)

 創世紀6章9節:ノアの系図は次の通りである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全たき人であった。(口語訳)
 
ノアは整えられた人でありますけれども、この創世紀の6章9節をNLT: New Living Translationという訳文では、「いつも神のみ心に従い、神と親しく歩んだ」と訳しているのですが、この訳もすごい訳文だと思いますね。いつも神様のみ心に従って神と親しく歩んでいた。

マタイ22章37節はご存知のように、最も大切な戒めはなんですか?「心を尽くし、精神を尽くし、思いをつくし、主なる神を愛する」のですよ。 そういうイエスさまの言葉がここに書かれているわけであります。

今度、洗礼をお受けになられます安井季子さんは、この前お母さんを亡くしたばかりでありますけれども、洗礼をお受けになられるわけですが、素晴らしい信仰告白のお手紙を書いて下さいました。児童作家としてわたくしは何冊も彼女の作品を読んでおりますけれど、皆さんもきっと読んでいらっしゃるけれど名前と一致しないだけであると思います。彼女は手紙の冒頭に、私宛に書いて下さった洗礼のための大切な証の文の最初のところに“私は神様が大好きです”と書かれていました。簡単な人生を送ってこられたかというと、お手紙を読みますと、考えられないほどの試練をたくさん通過しておられて、どんなにひがんでも、どんなにそねんでも、どんなにへそ曲がり人生を送っても、しようがないなあ、と思えるようなところを通過していらっしゃるのですけれども、神様はお変えくださって、数え切れないほどの贈り物と奇跡を下さいました。 “私は神様が大好きです” 

いいですねえ。「私は神様が大好きです」 ご一緒に言いましょう。ハイ!私は神様が大好きです。
子供を見て、孫を見て、お父さんを見て、お母さんを見て、おじいちゃん、おばあちゃんを見て、私はあなたが大好きですって表現できることはどんなに豊かな心だと思いません?

2.わたしたちが心から信頼する時、神は微笑まれる。

「信仰によって―彼は(ノアのことですよ)言われた通りに行動しました。その結果ノアは神様と親しくなることができたのです」。(ヘブル書11章7節Msg)

Ex: 3つの問題 1.2.3.
・最善以下をなさらない神を信じること。

1番目はなんでしたかねえ。神様がスマイルされるのは、神を愛する時。
2番目は信頼する時。ヘブル書の11節7節。
 信仰によって彼は(ノアですよ)言われたとおりに行動しました。
その結果ノアは神様と親しくなることができたのです。

ノアは箱舟を造りなさいと命令されたんですけれど、ちょっと困ったことがいくつかありました。雨が降るからといっても、問題1.2.3.と書かれております。

問題1.ノアは雨の降ったのを見たことがないんですよ。へーと思って皆さんも驚きでしょう。学問的に雨が降らないって考えられるかなって思うんですけれど聖書にそう書いてあるんですよ。雨がなかったって書いてあるんですよ。じゃー、地面のうるおいはどうしたかというと、あちらこちらから泉が湧いてね、泉が湧いて、創世紀の2章5節6節に雨はまだこの地にはなかった。あちらこちらに泉が湧いて地面は潤されていた、とそう書いてありますから、雨が降ると言っても雨を見たことがない。

問題2.どうやって陸の丘の上で造った舟を、大きな舟を、地上に持っていくか。それがまた問題でした。

   問題3.三つ目は、どうやって世界中の動物を一つがいづつ舟に入れることができるか。運ぶことができるか、そして、お世話をすることができるか。しかし彼は文句を一言もいいませんでしたし、神様

どうするんですかという、説明を求めてこの頭で納得してから、それに従ったわけではなかった。神に対する全幅の信頼。ノアは神様に対して全幅の信頼を抱いていたのです。

兄弟姉妹、私考えてみましてですね、ノアはまぁ、ね、お父さんですから大丈夫だったかもしれませんけれど、ノアもかなり迫害を受けたでしょう。ノアの家族のセム、ハム、ヤベテ、その奥さんたち、さあ、全員がそんな立派な信仰であったようには思えないような気もしますしねえ。家族で「お父さん、いい加減にしてくださいよ。神の声を聞いたからと言って、そんなことしないで下さい。」
私の父が40代で献身をして、そして、あの静岡の地に就任いたしましたときに、大変な状況であったのですけれど、えー、私たちは、「お父さんは、そりゃー献身したんだからいいけれど、わたしたちはそうは行かないや」と言って文句を言ったことがありますが、ノアの家族もそうゆうふうにして逆らうと言うか、迫害すると言うか、そういう事があったのではないかと思います。信頼関係がなくなると、死ぬほど辛いという風に思うと思います。

 今日は、次男の家族のために皆さんに祈っていただいて、そしてまた、お祈りして下さいとお願いしたわけですが、実は長男の謙司と聖充との間に二人娘が与えられたのですよね。二人とも流産してしまいました。これは、最近お祈りしているときにはっきり主から教えられたことでありますけれど、これは、この教会の初期のリバイバルの犠牲になったことは確かなことであります。役員の皆さんや、信徒の皆さんを責めようとは思っておりませんから、どうぞ勘弁してください。主からのメッセージとして今語っているのであります。
会堂建築は“人柱が立つ”とよく言いますけれども、我が家では二人子供を、あの激しい忙しい教会の中で生活して、上ったり下ったり、上ったり下ったり、二階と下を行き来しているうちに、家内はつらい経験を二度もしたわけであります。 私は神様から、お前の娘達は殉教者である。この教会のはじめての殉教者ですよとゆうふうに言われて、なんとも言えない気持ちになっているわけであります。

 福沢牧人宣教師の二人のお子さんが、今、デング熱という難しい訳の分からない、治療法がないと言われる病気にかかっているようでありますけれども、これは宣教の一つの犠牲であるわけであります。殉教しないようにみんなで祈り支えたいと思います。
ノアの子供達はお父さんのお手伝いで、大工などしたことはないかもしれないけれど、お手伝いをするというような形でありました。しかし、プ

リントに書きましたように、神様は最善以下をなさらない。最善以下をなさらない神様を信じ続けるということが重要なポイントであるということであります。

 兄弟姉妹、わたしたちは自分の頭脳で物事を決定しない。私の神様は最善以下をなさらない神様ですとご一緒に言いましょう。ハイ!「私の神様は最善以下をなさらない神さまです!」
わたくしは、いつも自分にそれを言い聞かせて、口で告白しています。何か辛いことがあったり、困難なことがあったりした時「私の神様は私にとって最善以下をなさらない神さまです」。 これはもう徹底して自分に言い聞かせる。私の神様は最善以下をなさらない神さまだと自分自身の口で告白する素晴らしさであります。

3.わたしたちが心から神様に従うとき神様は微笑まれる。心から神様に従うとき。
   創世紀6章22節=完全に言われた通り正確に従ったノア。
   詩篇100篇2節、詩篇119篇32節 LB

創世紀6章22節:
「ノアはすべて神の命じられたようにした」と書かれていますね。完全に神様の命令通りのことを、縦、横、長さ、深さ、どのぐらいの距離であるか、神様がおっしゃった通りのことを、手抜きをしないで、ごまかすこともしないで、見事にやり遂げたとゆうふうに理解することができると思いますね。

詩篇の100篇の2節が今スクリーンに出ますが「喜びをもって主に仕えよう。」
 私が中学3年生の時にこの歌が流行して「♪喜び、喜びて主に使えよ〜♪・・ ナントカ、ナントカ・・歌いつつその御前に来たれ。喜びをもって、同じ仕えるなら喜びを以って、同じ奉仕をするなら喜んで、同じ献金するなら喜んでする。そういう人生を送りたい人はアーメンと言いましょう! アーメン。私がその様にしてどんなに祝福されてきたことか!!

詩篇119編の32節。リビング・バイブルです。
 「主よ、何をなすべきかおっしゃってください。私はそれに従います。主よ、生きている限り私はあなたに心から従います。
神様が微笑まれますときは、「わたしたちがお従いします」って申し上げときであることを自覚しましょう。

4.わたしたちがいつも神様をほめたたえ、神に感謝するとき、神様は微笑まれます。

 創世紀8章20節〜21節「賛美の捧げもの」 (ヘブル書13章15節)、「感謝の捧げもの」(詩篇116の17)
 Ex:尾崎姉の手紙、祐芽さんの手紙、三浦光世さんの手紙

創世紀8章20〜21節:
「ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥のうちから、幾つかを選び取って、燔祭を壇の上にささげた。主はその香ばしいかおりをかいで、 心に言われた、「私はもはや二度と人のゆえに地を呪わない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたくしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。」

ノアはアララテ山に到着しました後に、虹を見てこのみ言葉を頂いた、と理解してよろしいかと思います。約束が成就してアララテ山に着いたときに彼は最初に何をしたかというと燔祭をささげた。
私はこのところにみ言葉を書いて「賛美の捧げもの」 「感謝の捧げもの」、その下に尾崎姉妹の手紙と書きましたが、これは裕芽さんのお母さんのことであります。私は聖書の間に挟んでですね、これをときどき見ては改めて感謝します。
これは祝ちゃんが産院で出産するときに、我々はウロウロ、特にわたくしは何をしていいか分からないでウロウロしていたときに、彼女がこの手紙をわたくしに書いてくれました。
 2004年9月9日「素敵な御子息を娘にお授け下さったおかげで今日という日を迎えられ本当に幸せです」少し手紙の内容がありまして、「きっと二人で一生懸命育ててくれると思います。お祈り本当にうれしく思います。そしてこの日を迎えられたことに有難うございます。病院にて。」洋子とお母さんの名前が書かれております。これは私にとっては、私に対する感謝のカードだから大切にします。
私に対して、非常に厳しい手紙もわたくしひそかに持っておりますけれど、そんなのは二度と見たくないから見ないのですけれど、こういうものは聖書の間に挟んでですね、時々見るのですよ。
祐芽さんの手紙は公開しません。本人がここにいるし・・・。私は嫁さんから“お父さんへ”という手紙を何度か貰っておりまして大切にしているんであります。これは賛美の捧げもの、感謝の捧げもの。
三浦綾子さんのご主人が私に対して(私は誕生日を毎年覚えているのですが)、「恐れ入ります。私のような小さな一信徒の誕生日まで覚えていて下さり、プレゼントまで頂いて言葉もありません」。あの奥さんの綾子さん

が亡くなってから寂しいだろうと思って、私がぬいぐるみを送ってあげたんですよ。そしたら、喜んでねえ、このお手紙を下さっているのですけれど、これもわたくしに対する感謝。感謝だから私はここにおいてあるのであります。

 愛する兄弟姉妹、わたしたちがいつも神様をほめたたえ、神様に感謝するとき、主はニコッとして下さるのですからいつも感謝しましょう。どんなときにも感謝しましょう。日記をつけていらっしゃる人は、神様に対する感謝日記というのをおつけになったらいいと思いますよ。今日一日幾つぐらい感謝できるかって、やってみたらいいですよ。家族やノンクリスチャンのお友達が読んだらもっと恵まれるでしょう。今日の神に対する感謝。サンタクロースに対するお手紙を書く人がおりますけれど、神様に対する感謝を書くということは素晴らしいことであるとそう思いますね。

5.私たちが与えられている能力(賜物)を発揮する時神様は微笑まれる。
                                      創世紀9章1〜3節
Ex:エリック・リドル兄

「主は天から全人類を見下ろし、神様をお喜ばせしたいと願う賢い者をお探しになります。」(詩篇14篇2節LB)

 神様がわたしたちに下さった命は神からのもの。神様はわたしたちの人生を色々なもので包んでいて下さるのだと思いますけれども、目が与えられたのは美を楽しむために、音を楽しむために耳を、匂いと味を楽しむために鼻と舌を与え、考えてみますとそんなことが沢山あるかと思いますね。神様が下さったものを喜び、楽しむ。それを主がニコッとして下さるということを意識するという訳ですね。
子供が3歳ぐらいまでに私たちに与えてくれた喜び、わたしたちを楽しませてくれたもので、一生どんな育ち方をしたとしても、文句は言うまいと言うような人がいましたけれど、それを肯定したいほど、あるときは寝顔を見るだけでねえ、満足感と言いましょうかね。あー、寝ているよ、すやすや寝ているよ。それは当たり前だよね。でも、あー、すやすや寝ている、あー、ニヤッとした、よく寝ているねえというのでも、それで満足を覚えると言うか、疲れが取れるというか、不思議なことですよね。神様がお疲れになるとは思わないけれど、わたしたちの寝顔を見るだけで神様が満足される。一日よく働いたねえ、よく奉仕したねぇ、私はよく知っているよ。私はよく覚えているよ、という風におっしゃって下さる、そういう世界があるということですね。


創世紀9章の1節から3節までをそこに引用してありますが、開けてみましょうね。

「神はノアとその子らとを祝福して彼に言われた、生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。(動植物を食べていい理由は、ここにありますよ。)青草をあなたがたに与えたように、私はこれらのものをみなあなたがたに与える。」

仏教徒の方々からどうしてクリスチャンは殺生をするのですかという質問があれば、この場所からお答えになったらよろしいかと思います。

 リック・ウオーレンが面白いことを言っておりまして、私達は神様をお喜ばせ申し上げるというのは、何か特別な霊的な信仰的な活動をしている時だけであると思い込んでいるけれど、聖書を読むとか、教会に出席するとか、祈るとか、信仰を分かち合うとか、奉仕をするとか、それは勿論神様は喜んで下さるけれど、私達の日常生活の一つ一つの歩み、寝ていようと、遊んでいようと、食事をしていようと、神はあなたの行動の一部始終を見ておられるのです。聖書は信仰深い人の歩みは主によって導かれる。神はその人の生活をすべて喜んでおられる。レジャーの時もそうです。

「炎のランナー」の主人公、映画をごらんにならなかった人は必ずご覧になったらいいと思います。エリック・リデルさん、この人物がオリンピックで優勝しているわけですけれども、 彼は「神がある目的をもって私をお造りになったと信じていますが、また、速く走れるようにと造ってくださいました。 私は走っている時に、神が喜んでおられるのを感じるのです。」と記していますけれど、これは面白いですね。
神様はわたしたちに委ねられた賜物を、それを用いている時に神様は喜んでおられるという。神様が与えて下さった賜物が分からない人は「神様、どうぞ、はっきりと教えて下さい」と祈ったらいいと思いますが、神様は私達が与えられた賜物を用いている時に、被造物である私達に対して喜びをお感じになっていらっしゃるということを意識したいと思います。

詩篇14篇の2節、リビング・バイブルです。

「主は、天から全人類を見おろし、神様をお喜ばせしたいと願う賢い者をお探しになります」

わたくしの大好きな詩篇です。「主は、全世界をあまねくみそなわし、自分に向かって全うするものに力を現したもう。」

この箇所は、主は、天から全人類を見おろして、神様をお喜ばせしたいと願う賢い者をお探しになります。神様は21世紀においても、ノアのような人々、すなわち、神に喜ばれる生き方を志す人々を探しておられます。

神様に微笑んで頂くための五つの原則。(まとめ)
 1・主を愛しましょう。
 2・主に信頼しましょう。
 3・主に従いましょう。
 4・主に感謝し、賛美を棒げましょう。
 5・そして与えられた賜物を意識して、栄光を主にお返ししながらも全力を尽くしてこの賜物を用いるという人生を送りましょう。

この世界を喜び、主に喜んで頂ける人生を送りたいと願う人は、大きな声で、アーメンと言いましょう。 アーメン! お祈りしましょう。

天のお父さま。今日もこの世界中で愛されている書物から大ヒットでありました。本当に感謝であります。神様はリック・ウオーレン先生を用いて世界中にメッセージを発信させられました。何10カ国でこれを学びわたしたちはそのお裾分けをいただいております。
 私が間に立って執り成しているのでありますけれども、大きな恵みを今日もいただきました。21世紀の今日もノアと同じように神が微笑まれる、にっこりされる、そういう賢い生き方、主をお喜ばせ申し上げることに心を向ける者に、神様は目をお向けになられ、探しておられるということ、聖名を崇めて心から賛美します。私たちをそのようにしてください。聖餐式を頂きますときに、そのように私たちの内側をご聖別くださいますように、主イエスさまのお名前によって感謝してお祈りします。