お証し
井澤豊先生
高校2年の秋、母は世を去りました。自分の世界はもう、母と共に死んでしまったような気がしました。私は、不安と悲しみのどん底に落ちていく自分をどうすることもできずに、毎日を過ごしていました。学校もしばしば休むようになり、新宿、渋谷などの盛り場へ足を踏み入れては、心のすき間を埋めようとしました。また、この頃からハードロックに打ち込みだしました。ドラムを叩く激しさの中に自分自身を置くことによって、なにもかも忘れようとしたのです。しかし、演奏していても、いつも空虚な感じがついてまわり、私の心は満たされませんでした。次に酒やたばこに身を任せたりもしましたが、ますますむなしくなっていきました。そんな自分を黙ってみているしかありませんでした。
冬のある晩、いつものように街をぶらついていた時のことです。グリーンのコートをふかく覆うように着た外人の女性から、一枚のチラシを手渡されました。彼女は白い息を吐きながら、道行く人々に「どうぞ読んでください」と声をかけ、そのチラシを手渡していました。それは、「シオン」という喫茶店の招待状でした。「楽しい語り合い、すてきな音楽、フェローシップアワー!」とあり、なんとなく心がひかれて、そこへ行くことにしました。中に入ると、みんな楽しそうに歌ったり笑ったりしていて、とても明るい感じでした。彼らはクリスチャンでした。
その夜私は、生まれて初めてイエス・キリストのことを聞いたのです。 他人事のようで、どうもピンとこなかったのですが、不思議と心が落ち着きました。
その時以来、私の頭の中は、イエス・キリストや「フェローシップアワー」、そこで出会ったクリスチャンたちのことで一杯になり、他のことは何も考えられないほどになっていました。私は毎週、この「フェローシップアワー」がおこなわれていた喫茶店に足を運ぶようになりました。 約3ヶ月ほど、イエス・キリストについて、多くのクリスチャンたちと話しました。すると、だんだんイエス様(キリストというお方)が実在のお方で、イエス・キリストだけが私の心からの寂しさや不安、恐れや悲しみを取り除き、生きる目的を与えてくださる方だと思うようになりました。 自分の罪を悔い改めてイエスさまを受け入れるなら、神は罪を赦し、平安を与え永遠の命を与えてくださる・・・・そのような静かな確信が、心にやってきました。共にいてくれたクリスチャンの方と一緒に、初めて私は祈りました 「イエス様、あなたを信じます。アーメン。」1972年5月2日のことでした。
祈った瞬間から、イエス・キリストなる神のくださる平安に包まれ、私の人生は全く変わり始めたのです。激しいロックの代わりに、キリストなる神のために心からの歌を作り歌うようになりました。孤独から解放されて、心から喜びあえ、信頼できる人々の中にあることの満足感を得ることができるようになりました。また、自分の神経を鎮めるためのたばこや酒の代わりに、神からの平安と落ち着きを与えられました。
私の毎日は、悩みや問題がなくなったわけではありませんが、そのような中にあっても喜びで満たされています。なぜなら、イエスキリストが私の人生を共に歩いてくださっていますから。「救い主なる神を心から賛美します。」
ハレルヤ!主のみ名をあがめます!
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