石の枕 石の枕 石の枕

自分を笑える

オルポートが、ユーモアを定義して、「自分を愛するものを笑って、なおも愛しつづける能力」といった。「私ってバカでしょう」と自分を笑って、しかもそのバカな自分を毛嫌いすることなく、いとおしく愛せるということ、この人は「ありのまま」の自分をあたたかく見つめ得る人、言葉をかえていえば、ユーモアを解する人である。

自分のみにくさ、傷口から目をそむけず、自分にみにくさがあること、自分が傷ついていることを、認めることができる人はまた、他人のみにくさ、傷口からも目を背けないでいられる人である。

どうしたらみにくい自分を見つめ、受け入れてゆけるだろう。それは誰かが心から「君はみにくくない。ぼくは傷ついたままの君を愛している」と言うことによって可能となる。

愛はすばらしい力である。愛は、人間を生かす力である。

ご存知万葉集から一句。

信濃なる千曲の川のさざれ石も
 君しふみてば珠と拾わん

防人として出ていった恋人を偲ぶ歌であろうか。

「いとしいあなたが踏んだ石だと思えば、私には珠玉と思えます」。この女性は、その小石を眺め、さすり、幸せである。何カラットかするダイヤでなければ、幸せになれない女と比べて、何と幸せな女であろう。

愛は、このように石を珠に変える力を持っている。小石にすぎない人間を宝石のように輝く人間に変えることができるのだ。

愛されることによって、傷があることを恥ずかしいことと思わなくなり、自分からうみを見つめて、取り除く勇気を得るのである。愛されている者は、かくて、心を開いてすなおになり、同時に、傷つくことを恐れなくなる。なぜなら、手当をしてくださるお方を有しているからである。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い」。

一九九三年七月十八日

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