このページでは1999年12月5日〜2000年4月30日までの石の枕が掲載されています。これより以前の石の枕をご覧になりたい方は、こちらへ


ハレルヤ!

「私はこの場所に繁栄を与えると、主は言われる」
(旧約聖書 ハガイ書2章9節)

 私たちがサンフランシスコの教会を辞任して、座間教会に任命されたのは1970年4月の事でした.あれから30年が過ぎました.

 70年代に増改築し、80年代に座間市天台にカルバリーチャペルを建て、90年代に森チャペルが与えられました.まことに不思議なことに、10年ごとに大きな恵みを受けてきました.

 1990年の「石の枕」で、「この様子だと、2,000年には考えられないほどの奇跡の大チャペルが与えられるであろう」と記しているが、それが見事に現実となりました.

 そして、主の御言葉に従順するなら、2010年には、大リバイバルの真中で、いまは想像できないほどの恵があふれる群に成長しているだろうとお声を聴いている.

 宇多田ヒカルの一番新しいCDに、Wait and see(リスク)というものが有ります.その中に「変えられないようなものを受け入れるような力、そして、受け入れないものを変える力をちょうだいよ」と言う歌詞が有ります.

 このことは、非常に内容の深い思考が含まれていて、きっとニーバーの引用だと考えられます。正式には、「おお神よ、変え得ないことに対しては、これを安らかな心をもって受け容れることをえしめたまえ。変えるべきことに対しては勇気をもってこれを変えることを得しめたまえ。しかし、そのいずれであるかを見分ける知恵を与えたまえ」となります。

 新約聖書の「山上の説教」の冒頭に「心の貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである」とあるが、本当に謙遜な人は、このような祈りをささげるであろう。

 皆々様のご協力で、このような美しい礼拝堂を与えられて、心から感謝したい。全てのものは主のもの!


2000年4月30日


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 夏目漱石は「虞美人草」の中で、「驚くうちは幸せだ」と言っているが、心底、いわば魂の中で「驚き」を失った時に、人は生ける屍となります.

 イエス様は、私たちを生かす為に、繰り返し「驚き」を与えていてくださいます.驚きや恐れおののきは分析するべきものではなくて、経験するべきものです.



 先日「入堂式礼拝」で興奮の極みを味わったばかりですのに、もう来週は「献堂式礼拝」です.大声で

「私たちはこの礼拝堂を主に献げます!!」

と宣言する場面があります.何か素敵なプログラムを考えています.ご期待ください.またお祈りください.

 設計士の方々、三菱建設株式会社の方々や下請け企業の方々、大和市長、大和市議会議員さん、国会議員さんの方々をご招待しておられます.これらの方々やご家族の皆様に礼拝の恵みが届きますようにお祈りください.

 祝賀パーティーは工事関係者の方々がシャローム館で食事をされます.一般霊は医者は、全員に紅白のおにぎり弁当がプレゼントされますので、森チャペルでお食べになってください.今回はお客さまが中心となります.

 私たちの大騒ぎ祝賀会は、5月28日の礼拝後、第1駐車場で恒例の昼食愛餐会を持って感謝を分かち合う時を持ちます。男性方にも、食事を作って頂きます.お楽しみにお待ちください.
 
 その日には、なんと、世界が注目しているフィリップ=ナンシー師が礼拝の説教者として来られます.この著名なお客様をも歓迎するパーティになります。

 さて今週から「神奈川中央交通バス」を貸切り、大和駅からのピストン送迎となります.バンザイ! ハレルヤ! 勿論無料です.これからも「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしないこと」がなされます.



 

2000年4月23日

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 中世のドイツで恐ろしい実験をした王様がいました。その実験とは、「もし生まれたての赤ん坊に刺激を与えないで、隔離して育てたらどうなるか」だれも一言も掛けないで数人の赤ん坊で実験してみたが、結局全部死んでしまったそうである.

 教会では洗礼を受けたばかりのクリスチャンを「新生(児)した人」といいます.

 現代人の好みは「匿名性」といって、自分の名前を明らかにしない傾向があります.であるから、教会が大きくなると人々の陰に隠れてメッセージを聞き、自分の名前を知らせないで、ひとりで来て、ひとりで帰るという方が増えています.現代人の特徴と言ってしまえばそれまででありますが、本当は健康な姿では有りません.下手をすると前述の恐ろしい実験の結果の様になってしまいます.

 教会に来られたら、神の国の豊かさを味わって欲しいです.兄弟姉妹という関係は、ある時は煩わしかったり、面倒な事も有るでしょうが、神の国の豊かさは、それを乗り越えたところに有ります.

 礼拝の前後に声を掛け合ってください.シャローム館に行って、誰かとコーヒーを飲んでお喋りをして下さい.一杯のコーヒーから何かが生まれるかも知れません.

 毎週土曜日の12時から泉チャペルの清掃が行われています.祈祷会の前後も、教会と大和駅・座間駅の間をを結ぶ送迎車の中でも、トイレさえも、あなたの坐した席の隣りの方とでも、是非交わりを始めて下さい.

 各年齢別の信徒会も楽しいですよ.ひとりでお喋りを独占する人、無口の人、食べる専門の人、料理上手な人、聞き上手の人、いろいろな方と触れ、その信仰の有様を知ることによって、あなたの人生も整えられてゆきます。「互いに愛し、互いに仕え合いなさい」。これは、主の命令です。



2000年4月16日

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 先週の日曜日、4月2日は、歴史に残る「興奮の爆発の日」になりました.
 いつもより15分早いスタート。SONY製の新しいプロジェクターによって左右の壁に写しだされる数字に合わせてカウントダウン.現代的な画像に驚きの歓声が起こる.会堂が暗くなり、宮田四郎兄にスポットライトが当てられ、ホルンのファンファーレ.

 牧師夫妻と三畑義雄長老、小山英子伝道師、K姉によるテープカット。

「主イエスの御名により入場します。」

と宣言し、行進が始まりました.伝道者グループ、役員さんたちが続き、風船を持った子供たち、バナー(フロリダ州ペンサコーラの教会などでよく使用される大きな旗の事)を自分たちで作り入場する中高生や学生会の若者たち。

「感謝しつつ主の門に、賛美しつつ大庭に、入れ、入れ」

と大合唱の中を行進する.心からの賛美の後、ハレルヤ!と叫び、主に栄光を帰して大拍手が鳴り止まない.詩篇150編の世界とはこの様な事であろう.

 NRA(日本リバイバル同盟)事務局ニュースに次の様に載りました.

<連休中には大和カルバリーチャペルでも「献堂式記念聖会」が開かれます。日本のプロテスタント教会の歴史の中で、日本人が日本人の手だけで、1000人教会及び会堂を建てたという事は記念すべき事です.

 趙 繩(チョウヨンギ)先生が人生のもっともエネルギッシュな十数年間を日本の為に捧げ、大きな犠牲を払って下さいました.その時から長い歳月が経ちましたが、今その第一の弟子である大川牧師を通しての記念すべき1000人会堂は、趙先生にとっても大きな励まし、また慰めであるかと思います.

 何でもそうでありますが、先頭を走る者は厳しい面があります.それは未踏の大地に新しい道を作るのと同じです.しかし、1度開かれた道を後からたどるのは大変でありますが、楽な道でもあります.

 今後日本のキリスト教会にも、第二第三の1000人教会が出来てゆくでしょう.十数年前に祈りと涙を持って、日本に種を蒔いてくださった、その種が決して無駄ではく、今それが実ろうとしています.>栄光在主。




2000年4月9日

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「見よ、全てが新しくなりました。」(Uコリント5の17)


 ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! 何度叫んでも足りない喜びである。

 1970年に就任して、会堂増改築、新会堂3回目、シャローム館建設と次々と大仕事であったがどれもこれも大成功で、今回も大ハレルヤである。全ての栄光は主のものです。

「そのなすところ皆栄える」(詩篇1の3)


とある通りの恵みの連続であった。本当は死ぬほどの辛いトンネルを何度も通ったのだが、全てがプラスになっていて、驚きであります。

 正直告白すると、目に見えない教会を建てあげるよりも、目に見えない教会建設の方がよっぽど難しい。これは三菱建設にも、千葉設計事務所にも、また何十億の献金があっても不可能の世界である。であるから、両方の会堂建設の祝福を心に留めて、感謝を致しましょう。

 この教会は、すでに信仰を持った者たちの養われる場所である事は勿論であるが、滅び行く99%のために存在である事を深く自覚したい。「与える事は受ける事より幸いである」 「ギビングイズブレッシング」を実践する群でありたいです。
 
 衛生放送も、FM放送も、インターネットも全てそれである。これらは熱い祈り無しには決して出来ない事である事を銘記したいです。

 新会堂を与えていただいた事を先取りして、既に300万円をロンドンの教会へお捧げした。今日から4回の日曜礼拝の席上献金を中国の大湾献身訓練所に捧げる事にする。2000万円の予定です。私たちは今、1000万円位設備費用が不足しているのだが、必ず与えられる事を信じて、ほかのために捧げます。
 

 「私は栄光をこの家に満たす」(ハガイ書2の7)





2000年4月2日

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 森チャペル最後の「石の枕」と思うだけでドキドキします。 一聖徒の尊い土地の献げものを土台に、このチャペルを建てて8年。記録によれば、1992年の礼拝出席人数は平均503人祈祷会は198人。1999年の礼拝は863人祈祷会は444人。数字に表わされた有様だけでもビックリの内容である。主の聖名を崇めます。

 いくら土地が与えられたからといっても、慣れた座間の地から大和に引越しをするということには勇気、信仰が問われました。愛兄姉の励ましと主の恵みがなければ不可能なことでありました。ふりかえりあらためて、主に感謝し、栄光を主に返したいです。



 さて来週は、入堂式礼拝であります。テープカットをして

「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、主の大庭に入れ、入れ」

と、詩篇100篇4節を歌いつつ行進しながら入場します。10時ごろからテープカットのシーンを何度も撮影するので、21世紀を担う若者は、誰でも牧師の隣りに立ってください。

 公式には午前10時45分テープカットで、主任牧師夫妻、長老、責任役員、執事会(役員経験者)、牧師、伝道師、補教師、ヤングチャペルと学生会(最前列から左側の階段を上がり2階特別席へ)、日曜学校の子どもたちと教師(正面のジュータンに坐し、説教の直前にシャローム館へ移動する)と行進します。

 他の方々は、礼拝堂に前もって入り、祈り心でお待ちいただきたいです。どうしても行進に加わりたい方は、最後列に加わってください。

 「見よ、兄弟姉妹たちが共に一つになって礼拝することは、なんという幸せ、なんという楽しさであろう」(詩133の1)とあるが、これだけの大きさになると、まさに全員奉仕者でなければやっていけません。いよいよ、本物の教会形成となるでありましょう。よろしく。 キリストのからだなる教会を建て上げるためにイェス様は命がけ、牧師も命がけ、皆様も・・・。 「私は栄光をこの家に満たす」(ハガイ2の7)




2000年3月26日


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 東京カルバリーチャペルが始められました。愛兄姉のご協力を得て超満員、376人を数えました。立錐の余地なしの盛況でした。アンケートや感想文を見ては胸を熱くしております。

 3月とはいえ美しい桜も満開で、主もお喜びのことと思い、主の聖名を崇めました。東京伝道に重荷をお持ちくださる方は、当分の間できるだけ多くの出席を期待しております。お祈り下さい。 次にお手紙をご紹介します。        

 ハレルヤ! 主の聖名を讃美いたします。昨日の「東京カルバリーチャペル」第1回目の礼拝はすばらしい時でした。ホールいっぱいに「輝く日を仰ぐとき」が響き渡った時、まるで天国のようだと思いました。いつもすばらしく、恵まれ養われる先生のメッセージですが、それに加えて、先生の「東京」「東京伝道」への思いが痛いほどひしひしと伝わって来て心打たれました。

 私が主イェス様を信じたのは大学四年の春でした。東京の駅のホームに立ちながら「このまま線路に飛び込んだら、すべての苦しみから解放されて楽になるのに・・・」と思いつつ、その勇気がなく、主にとらえていただいた者ですが、あの苦しみの時に、東京に、こんな素晴らしい礼拝がなされていたらと思ったりしながら、桐杏学園のホールに立っておりました。         

 今も、昔の私のような若者が東京の街を「さまよい」歩いているに違いありません。そんな若者が、また「東京砂漠」で飢えかわいている多くの人々が、1人でも多く救われるように、祈り続けて行きたいと思っております。また、この過酷なスケジュールを毎週こなされる大川先生のご健康のためにも続けてお祈り致します。

 この手紙を読んで、しばらく書斎で泣いておりました。魂の救いのために献身を新たにしました。「各々方、初陣でござる。覚悟なされー」と聖餐式をもって開戦。主がご一緒。必ず勝利!!




2000年3月12日


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 東京、とうきょう、トウキョウ。日本で一番高地の駅はどこでしょう、というクイズがある。答は東京駅。東京駅にむかって全ての電車を「上り」という。日本の中心は東京。世界に影響を与えるのも東京である。

 東京には、日本の人口の10分の1、約1200万人が住んでいる。私は東京生れ。小学校は葛飾区立本田小学校。高校は聖学院高等学校。大学は渋谷の青山学院に5年も通う。神学校は東京聖書学院で新宿。私は東京を愛するというよりも、パウロの表現を借りれば「果たすべき責任」(ロマ1の14)がある。天に召されるまでに、東京に福音の爆弾を投げ入れたい。それは私の欲や野心ではない。主の思いであり、主の御計画の中にあることであると確信する。

 私の30年間仕えて来た大和カルバリーチャペルは、1000人のメンバーを有する日本における最大級の教会に成長した。来る4月30日の午前前11時より「献堂(落成)式礼拝」を行う。是非皆様にもおいでいただきたい。今は牧師として、その教会に集中すべきときに、東京伝道に導かれた。大教会にあぐらをかいて安逸をむさぼらないようにとの主のご指導かとも思っている。

 本当はひとりでスタートしてのカッコイイ開拓伝道を考えていたが、そんなことはできるはずのない高慢なプランであることに気づき、必死で助け人を与えてくださるように祈り続けた。私のビジョンに賛意を示してくださった方々が多くおられる。私の健康をいつも心配してくれる妻や家族の者たちも、反対どころか協力を具体的に示していてくれる。全て感謝いっぱいである。私を使ってください、と申し出てこられる方が与えられるたびに胸を熱くして感謝している。

 この群は開戦のときから皆さんの教会であるイスラエル人の、荒野の旅がそうであったように、栄光の雲が動くことを主に期待したい。ご一緒に!ショニ




    

2000年3月5日

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 献堂式に間に合うように記念誌を出す予定です。内容は歴史的写真と証詞をのせたいです。

 すでにお証詞の原稿は、役員さん、信徒会の代表の方々、牧会スタッフ、補教師の方々にお願いしてあります。もし20年以上、この教会に仕えている方で投稿されたい方は遠慮なく書いてください。但し、原稿用紙一枚程度。現在千人を越えるメンバーがおられるので、原稿依頼を制限しましたが、このような事情を理解しておゆるしください。



 4月30日の献堂式日曜礼拝は、座間カルバリーチャペルも鴨居(JR横浜線鴨居駅の近くにある横浜カルバリーチャペルのこと)も合流です。他の支教会の方々も合流されたら楽しいですね。

 5月3日〜5日の記念聖会には世界中から来られます。教会員の皆様は、全聖会に出席されるように計画してください。恵みを受けることと同時に、何らかの奉仕もできるように考えてください。アンケートは、日曜礼拝が中心ですが、今日中に提出してください。

 ともかく中に入ったらビックリしますよ。とても美しく広く何とも言えない礼拝堂で、ひとり瞑想していると、すでに主の臨在をおぼえるほどです。ハレルヤ、ハレルヤ、感謝、感謝。



 来週から東京カルバリーチャペルのスタートです。東京の開拓伝道が、こんなに早く実現するとは夢のようです。みんなで伝道を楽しみたいと思います。

 3月5日のオープニング礼拝には、久米小百合さん(「異邦人」の久保田早紀さんのこと)が賛美に来てくださいます。5時からの礼拝ですが、3時半から、駅前や路上で案内のチラシ配布をします。礼拝に出席し、座っているだけでも応援団になります。(3月でも桜の満開というのも味のあるものです。)祈ってください。短期間に爆発的に成長するように挑戦しますから。喜びもて主に仕えましょう。





2000年2月27日

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 次の数字は何をあらわしているか分りますか?

1378,1922,2660,2747,5760


 暗号文でも、電話番号でも、当たりくじの番号でもない。これは今年の年号です。

 これらの数字は、今年を紀元2000年と呼ばない国や宗教が用いている年号で、イスラムの「ヒジュラ暦」では今年は1378年。次はインドの「シャカ暦」次は日本で敗戦まで使われていた「皇紀」、次は古代バビロニアの「ナボナサール暦」、次は「ユダヤ暦」。このような紀元法は世界で50を越えるそうですが、今日もっとも広く用いられているのが「西暦」で、今年が2000年となります。

 日本でも、いつの間にか平成がどこかにいってしまって平静を保つのがむずかしいぐらい西暦が流行してうれしくなってしまいます。

 西暦は、キリストの誕生の年を元年とし、その年を中心にして紀元前(BC)と紀元後(AD・主の年に)に分け、歴史の中心はキリストであります。どの宗教団体の人も使わざるを得ないほどの流行であります。少年時代に、キリスト教が迫害?されたことを思うとビックリです。

 さて、私たちキリスト者が、このAD2000年を宣教のチャンスにしなければ申し訳ないと思っています。私たちは、意図したわけではありませんのに、AD2000年記念に、大会堂完成と東京開拓伝道がなされます。

「伝道はむずかしくありません。今は恵みの時救いの日だからであります」

と宣言されたのはボンケ先生でありますが、本気で祈って挑戦したら今年中に不思議がたくさん起ります。

 まず名前をあげて祈り続けましょう。大和も、東京も、日本中がうらやむほどのプログラムを用意しています。大胆にお誘いしましょう。大和も東京も、ビックリの連続を期待してよいのです。本当に必ず不思議が起ります。熱い祈りをささげましょう。魂の救いが最高の働きです。





2000年2月20日

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 アテンション・プリーズ! 新会堂が完成に近づきましたので大切な事をご説明いたします。心してお祈り下さい。

 献堂式礼拝は、4月30日の日曜礼拝の中で行います。その日は、千葉設計士様をはじめ、三菱建設株式会社、及びその関係会社、即ちお仕事に携わって下さった全ての人々を招待します。例えば、レンガ1つ積んだ若い衆も是非この礼拝に来て頂き、共に喜び祝いたいと願っております。礼拝後は、これらの関係者の方々をシャローム館で祝賀昼食のご接待をしたい。

 この日は、座間教会も、横浜教会も11時の礼拝に合流します。皆様の祝賀昼食は、バザーの時の様に、テントを張って大騒ぎをしたかったのですが、1回礼拝ですから無理の様です。ただ今、苦慮検討中です。
 
 既にご報告しております「献堂記念聖会」には、国内外から多数の方々がお祝いにかけつけて下さいます。ですから、教会員の皆様は恵みを受けるだけでなく、何か接待係になったつもりでご出席ください。

 5月3日は、2時から本田弘慈師、4時から榊原寛師と中野雄一郎師(大川牧師の同窓生)が担当します。

 5月4日は、10時半からチョウヨンギ師。その後、祝賀昼食大感謝会です。千人以上のお客様をおもてなしすることに思案中、大変ですが皆で知恵を出し合って楽しみましょう。午後は2時からスティーブ・ケーラー師が担当します。

 5月5日は10時半から千代崎秀雄師。2時から一般公開で特別講演会に、かの有名な作家の井上ひさし氏をお迎えします。武井先生の親しいお友達でもあります。そして最後は閉会礼拝を大川牧師が担当します。





2000年2月13日

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 先生の打つ手は全て成功しますね、なんてほめられることがありますが、そうでもありません。今回の「聖書読ませ作戦」は、頓挫。ボクは頓才と思ったことはないが、今度ばかりは先がよめぬ鈍才であった。み言葉の分かち合いはやめましたが(宿題をやって来なかった人は、親指まげて手を挙げれば決してあてない、なんてところは立派な気くばり牧師であったのだが)、宿題は毎週出します。1日5分でも、半章でも聖書を読むことは必ず霊的力になります。ホント。
 
 1年に新約聖書を1回位読むことは常識です。赤鉛筆をもって、心に感じたところに線を引きながら読みましょう。今回よく理解できなくても、次回判読できます。それが「真理の御霊」のお働きです。神のみ言葉を大切にするものは、不思議な祝福を受けます。ホントです。

 世界中のお母さんが苦労していることは、自分の子どもが健康に成長してくれることでしょう。そのために、手を変え、品を変えて、料理をし、バランスよく育つことを期待します。それと同じ思いが牧師のそれです。

 皆様が、旧約(薬)と新約(薬)を正しくいただくなら、読む者の役得を受けるでしょう。貪欲は聖霊の実ではありませんが、聖書朗読に関してはよいことです。どん尻でも、どん底でも、鈍行にのったような読み方でも、チリもつもれば、ヤマトなるです。ドンドン読んで励まし合ってください。(以上の文の中に、とん又はどんが、9回出て来ます)。


2000年2月6日

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 ビックリ発見を紹介します。カレブ会の松野兄が教えてくれました。

 「石の枕」で22年──500名礼拝のうらおもて、という本があります。その1990年11月11日分に次のようにあります。

 1990年11月4日、日曜礼拝後の総会で、大和市に新会堂を建設することが、決定された。(すなわち座間市にある教会が、隣接とはいえ大和市に引越しをするとはすごい決断であった。)現在のカルバリーチャペル(当時小田急線座間駅の近くにあった天台の教会のこと)に移ったのが、1980年。いつの間にか、ここで10年過したことになる。まだ山林であったが、土地を初めて買い、うれしくて、林の中に何度も足を運び、草の中にかくれて何度も祈った。

 この10年間は、天に召されたいほどの苦しい体験もしたが丘の上の白いチャペルに、あふれるほどの人々が集まり多くの人々が救われ日本で一番恵まれた群になった。良き役員、良き信徒、良きスタッフに恵まれた私は、幸せな牧師である。そして1990年、なにか10年ごとに大きな祝福を得ているようだこの様子だと2000年には、考えられないほどの奇跡の大チャペルが与えられるであろう。そのためにも、ステップ・バイ・ステップである。麗しさの極みなる栄光に輝いた教会を夢みながら前進しましょう。現在使用している礼拝堂の完成は1992年であるから、この文章が書かれたときは、何の形もなかった。それなのに「この様子だと、2000年には、考えられないほどの奇跡の大チャペルが与えられるであろう」と預言している。

 今目の前に赤い屋根の大礼拝堂を見るとこの分で進むとあと10年後には超ビックリするような主のみ業を拝することになる。なんてことを書いてもアーメンと信仰の応えが聴えてくるような感じがする──そして10年後に、この文章を引用することになる。ウフフのフ。ハレルヤ! 





2000年1月30日

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 「私は日本の産んだオー型伝道者、オーは大型ではなくて血液型のO型です」。これは私の自己紹介のジョークです。
 よく血液型と性格についての関連性を語る人がいるが、これは日本独特の奇妙な風習と、世界は見ている。科学的な評価を経た研究報告では、ABO式の血液型と性格との関連を証拠づけるものは何ひとつみつかっていない。なのに、日本ではまるで科学的に検証された「定説でもあるかのような扱いで、「あの人まじめ過ぎるのよ、A型だから」と断じたりする。

 大学生を対象にした調査では、隣人として避けたいタイプとしてB型やAB型という答えが多かった。何の科学的根拠も持たない血液型性格判断で、付き合いにくいやつと決めつけられる方はたまったものではない。これが就職や職場での人員配置にまで拡大したらどうなるのか。そろそろ呪縛を解きたいものである。

 これらは、先週の日本経済新聞のコラム欄に載っていたものである。就職だけでなく、結婚関係にも血液型が大手をふるったら滑稽になる。もう21世紀を迎えているのである。新しい視点を必要としている。ちなみに、私はO型、妻はB型、OとBはうまくいかない。OBだから?ゴルフみたいですね。クリスチャンは、キリストの血によって、新生したのだから、全員I型(愛型)の新種人間である。だれともおつき合いできるおめでたいタイプである。第Uコリント5の17。
 
 「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」(第Tペテロ4の10)
とあるが、「さまざま」という原語は、多くの彩色のある、という意味でどの色とも合うということばだそうである。

 何型であろうと、新潟、山形であろうと、神様とまず一致し、隣り人を愛する者でありたい。



2000年1月23日

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 私の次男が二十才を迎えた。1980年1月13日生れ。私にとっては、1978年に聖霊のバプテスマを受けて、これだ!これ以外にないと燃えに燃えていたので、聖霊充満を記念して「聖充」と命名した。

 今でも同じ気持である。もし人が信仰をもち、主に従い、聖霊に充満されるなら全ての問題に解決を与える、と今でも少しも変わらず確信をもっている。ホント。という訳で、教会の全ての人々に「聖充」の名前をつけて、聖霊充満の人生を送ってほしいと願っているほどである。

 私たちは、サンフランシスコの教会を辞して帰国したのが1970年であるから、今年は私たちにとっても三十周年という記念すべき年となる。 1つの群に30年間もお仕えできたことは、驚くべき神の恵みである。私たちも皆様にお仕えしてきたつもりであるが、主に従うように牧師に従い、忠実に仕えてくださった聖徒たちに心から御礼を申し述べたい。

 先週の日曜夕方「執事会新年会」がなされ、共に夕食を頂きながら交わり、祈りのときをもった。楽しくもあり、懐しい話題に花が咲いた。

 1982年のこと、私が牧会上最も辛いときのことである。月曜の夜に急用があって教会を訪ねると、役員室にあかりがついていた。ノックをして中に入ると、ずらっと役員さんがそろっていた。当時、教会内にゴタゴタがあって、人間不信になっていたこともあろうが、牧師に内緒で役員が集まるとは何ごとか、大声はあげなかったが、自分の顔色が変わったことは憶えている。
「先生がおひとりで苦労しておられることに申し訳なくて、せめて先生のお休みの日に、役員が集まって心を合せて祈り、先生を支えよう」ということなのです、と説明があった。

 ホット胸をなでおろしただけでなく、感無量であった。ひとり礼拝堂に行ってオイオイ泣いた。この祈り会は今日まで続けられている。感謝。



2000年1月16日

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 創立以来縦書きの週報でしたが、Y2Kで、気持を新たに横書きにしてみました。新しい世代をとらえるための努力です。私にもなじまず、少々違和感ありですが、新しい挑戦です。皆さんガマンしてください。新会堂の絵がなかなかできず、専門のデザイナーさんに依頼できず、バタバタと製作してしまいました。少々恥しい作品ですが、4月から、色を変えたり、少し改造できますので、お知恵をくだされば幸いです。

 宿題作戦はいかがですか。この教会に来たら聖書は必ず読ませられる。聖書を読むのを楽しみに日々過ごす、そんなクリスチャンであってほしい。それが牧師の願いです。学生時代にもどり、毎日聖書をコツコツ読む。恵みの宿題を感謝して受けとめてください。チリもつもればヤマトなる。
最近いただいた短歌を紹介します。


創世記読み始めたる妻の声
二千年は今始まりぬ 二千年始まり告ぐる声を聞き
我は聖書を読み始めたり



 不思議なことに、聖書を読み始めると主の油注ぎが起ります。同じように祈りを続けると不思議な油注ぎがあります。土曜日の準備祈祷会の1時間は、とりなしの祈りのときですが、主の臨在を深く感じる時でもあります。チョウ先生は、1時間位祈った後に深い主の臨在をおぼえると言われましたが、教会は祈りの家ですから、ひざまづいて「主よ!」と叫び始めたら、すぐにその体験を得られます。今年も「うたいつつ歩まん。祈りつつ歩まん。ハレルヤ」で前進しましょう。

 元旦礼拝の前夜は準備祈祷会はありませんでしたが、ひとりで会堂内をグルグル廻りながら賛美し、手をたたいて主を崇め、大声で祈っておりましたら、ものすごい主の栄光につつまれました。ビックリしました。元旦礼拝は驚くような恵みにあふれましたね。お休みされた兄姉は、必ずテープか、ビデオで恵みを受けてください。



2000年1月9日

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 明けましておめでとうございます。今年も「ハレルヤ!主よ感謝します!」と心から主を賛美して一年をスタートします。

 主のみ心は、私たちがこの地上でも幸福に生きることであります。み言葉にもそうあります。「愛する者よ。あなたの魂がいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、私は祈っている」。

 アウグスチヌス著「神の国」によれば、幸福については、288の学説があると言っています。哲学者のヘーゲルなどは、人間は決して幸福になれないのだと悲観的であります。
不幸な人の特徴を3つあげますと


1.自己愛が欠けている人。これは自己中心的なエゴイズムではありません。自分を愛せない人には、本当に他者を愛することができず、したがって幸福になれないということです。

2.相手をあるがままに受け入れない人。いつも相手に、ああやってほしいとか、あれではだめだとか、不満ばかりならべていたら、結局自分が不幸になります。

3.人生の各段階に応じて成長していない人。青春時代や中年期、第3の人生など、それぞれのライフスタイルによって生き方が違ってきます。若い時には、何かを「持つ」ことが、人生の大きな目標になりますが、中年期からは、いかに「ある」かを考えて生きるほうが大切だと思います。


 私は今年58才になります。信仰生活は44年。キリスト教界を50年間見て来ました。私は今非常にすばらしい悟りを得ています。これは真理の御霊なる聖霊様が教えてくださいました。何をしたら幸せになるか、何をしたら幸せを失うか、そのあたりがよく分かるようになりました。何か牧師としては、これからが充実するように思えてなりません。どうぞ私のためにお祈りください。今年もご一緒できますことを心から感謝しています。明るく、元気で、のびのびと!



2000年1月1日

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 メリークリスマス! この教会のイブ礼拝は、デートコースに入っているとかで、毎年数多くのカップルが来られる。また、クリスマスは当然に教会のミサ(礼拝のこと)に出席することを考え、ご家族で出席される教育的な方々もおられる。勿論、ひとりの人も大歓迎である。動機はどうでもよい。1年に1度でも来てくださる方々を心からウェルカムしたい。

 私は牧師を40年近くもしているクセに、礼拝に来られたら必ず1回は笑っていただくという執念をもっている。そのための苦労は笑ってしまうほどである。ですからクリスマス礼拝は厳粛さを要求されるから苦手である。葬式も笑わせるわけにいかないので不得手である。 

 1年に52回ほどの日曜礼拝に命を掛けている牧師として、1番苦手のクリスマスにだけしか来てくださらない方々のことを思うと心が痛む。それでこのシーズンをクルシミマスともいう。フランスの偉大な数学者パスカルは31才でクリスチャンになった。その回心の感動を紙片に書き留め、それを胴衣の裏に縫い込んで、生涯肌身離さず持ち歩いたという。それを紹介する。

 夜10時半より零時半まで 火(聖霊の火)アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者や学者の神ではない。絶対的確実性と理性を超える喜び、平和。イエス=キリストの神。・・・神以外のこの世のすべてのものを忘れる ・・・この世は御身を知らず、われは御身を知る。歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙。   

 クリスマスの聖書的テーマは「すべての民に与えられる大きな喜び」である。落語もジョー句も小さな喜び。本当の喜びは、生きる力を与えてくれる。1999回目のお誕生日を心から祝おう



1999年12月24日

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 クリスマスを迎える。 私が牧師として、最初のクリスマスを迎えたのは札幌だった。クリスマスシーズンには、光のイルミネーションが街角を飾り、雪の中にキラキラと照り輝く。クリスマスはこの町のために祝われる。この札幌でUさんと知り合った。ある時、クリスマスの思い出を伺ったことがある。

 Uさんは小学校を出ると、田舎から札幌にきて、馬具屋さんの丁稚(でっち)になった。馬の道具を作る職人を目ざしたのである。今ではほとんど姿を見なくなったが、当時の交通手段の花形は馬。馬の置きみやげが風に舞う「馬糞風」が札幌の名物であった。その馬の鞍やくつわといった道具作りを少年は学んだのである。修行の時代は給料もない下積みの生活だった。「いつか一人前になる」と心に誓い、その日を夢見てがんばった。ところが、やっと一人前というところで時代が変わり、もう馬など必要のない時代になった。すべてが無駄になってしまった。
 
 そんなある日、街を歩いていて、偶然に教会の横を通りかかった。すると教会の赤レンガの壁を隔てて、窓越しにクリスマスの歌声が聞えてきた。楽しげな笑い声も。青年はキリスト教のことも何も知らない。ふと我を振り返ると、あまりのみすぼらしい自分とすさんだ心があった。青年は身体が凍り付いたようになって、その場から動けなくなってしまった。我を忘れて聞き入った。頬を伝わって涙が落ちた。

 そして青年はその翌日、教会の門をたたいた。イエス=キリストを自らの心のうちに受け入れたのだった。ああクリスマス。神さま、あなたの前に差し出すものとしては、みすぼらしい自分しかないけれど、献げますこの身を。主よ、このわたしを受け入れてください。(「心の友」より)

 求めている人がいる。探しておられる人がいる。来週はクリスマス礼拝とイブ礼拝。深い祈りをもって主のご聖誕をお祝いしましょう。



1999年12月12日

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 私は「結婚学」という学問を専門に研究したことがあるが、時代と共に大きな変化にオドロキを感じる。以下「サンデー毎日」よりの引用。 30代独身OLの3割は、結婚しても夫と同居したくないのだという。姑とならまだしも、愛する男性ともイヤなのだから、コトはややこしい。東京と大阪の400人の30代OL対象の専門会社のアンケート調査結果である。

 「結婚しても自分の生活は守っていきたい」という家庭内独立ともいうべき志向。「離れて暮らしても愛は変わらないし、夫婦といえども独立した人格。自分のプライバシーを守りたいじゃないですか。人生の価値観は、ダンナだけでもないし。別の家に住んで、年間3分の1も会えれば十分じゃないですか」「休みの日は、疲れてふとんに入ったまま1日中ビデオを見ている。途中で寝ちゃって、またテープを巻き直して見るんですが、そういうのもダンナが一緒にいたらできないじゃないですか。結婚するなら朝早く会社に行って、夜遅く帰って来る人。遠距離通勤とか単身赴任ですね」。

 18万円の給料の大半が小遣いの独身貴族は、とにかく快適なシングルライフを満喫したいのだ。
 「結婚は、本当の自分を共有し合うことなんですが、今の30代は他人と深く付き合うのを怖がる。彼女たちのいう結婚は、デート気分のファンタジーなんです。自由な生き方も、自分のワガママを優先させたいだけのこと」

 さて、時代がどうであれ、クリスチャンの結婚観はこうであってはいけない。若い方々よ、聖書から正しい生活を学んでおこう。ハッキリいえば聖霊による「聖め」(きよめ)を受け、自我が砕かれ、ワガママが火を通っていないと大変だ。

 信仰をもつことは、キリストと結婚するような愛の関係をいただくこと。主は「私の愛の中に居なさい」「決して離れてはいけない」とおっしゃる。クリスマスは、その愛を学ぶときにしたい。



1999年12月5日

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このページでは2000年4月30日までの石の枕のページを記録しています.