過去のKAJIログ
  2007年06月
 
KGCM 2007.6.29[Fri]
 

ブログが、消えてしまったのでもう一度トライします。


毎月、1、2度金沢に行かせていただいています。

教会としての活動はもうしていませんが、

ゴスペルクワイヤーとして活動をしているからです。

私は、KGCM(http://kgcm.net/)のとりあえず責任者として、

無責任でいい加減な代表をしています。


子どもたちと大人を合わせても、30名ぐらいですが、

川崎から講師を、月一で招き地域や教会で活動しています。

クリスチャンではない方も参加下さっていますが、

金沢を中心に、野々市、松任、小松などから集まっています。


毎回、必ず練習の間に聖書の話をしています。

必ず聖書の言葉に、皆さんが触れ

「何のために賛美するのか?」

という単純な質問を投げかけます。


ただ単に、私たちが気持よくなるために歌うのではないと言うこ

とを繰り返し伝えてきました。

主の愛に触れられ、主の愛に応答した結果が、

ゴスペルが黒人の間で生まれた結果だからです。


これは黒人だけの特権ではなく、すべての人が、すべての人種

が、主を見出した時に生まれる感動、

それがゴスペルと言うのです。


ローマ11:36

「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのです。

 栄光がとこしえに神にあるように、アーメン」


勿論、この箇所の解釈はイスラエルの救いとご計画を表わしてい

るのですが、私の賛美の定義まさにここにあります。


私たちの賛美が決して「私たちから」ではなく、

絶えず「神から」であるという御言葉と啓示に立っているのか?

ということからだと思っています。


ダビデも歴代誌上29:10〜19の中での祈りで同じような告白を

しています。


「しかし、われわれがこのように喜んで捧げることが出来ても

 私は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。」


KGCMが、また、主を愛し、主を慕い求めるすべての人が、

主からの恵みを溢れるほど受けて、

主に栄光をお返し出来ます様に。


祝福を祈りつつ。


PS:KGCMのスタッフが新しいHPの打ち合わせをしている
  ところです。人間劇場の最後に私の為に祈っていて
  下さった盲人のご夫婦がでてきましたが、
  唯一の男性スタッフはその息子さんです。
test 2007.6.28[Thu]
  testです。更新が出来なくてご迷惑をお掛けしました

編集部より
チア・コンベンション 2007.6.13[Wed]
 
チャーチ&ホームスクーリングを支援する

団体「チアにっぽん」主催のコンベンションに行ってきました。


関東地域を中心に、子どもたちと親、牧師や教育者などが集まり

お互いを励まし合い、学び合い、祈り合うひと時です。


色んな意味で、沢山学ばせて頂きました。


子どもの教育は、ホームスクールや教会がやっている学校だけ

が大切だとは思っていません。


普通の学校や塾でも学ぶことは必要です。


しかし、私が思うことは「主を恐れる教育」なくしてどうして

他の学びが子どもたちの人生に生かされるでしょうか?


もう一度、原点に戻らされた素晴らしいひと時でした。


そして、我が家の子どもたちが、本当にのびのび教会や学校で

過ごさせていただいていることは毎日感謝、感激です。



子どもたちに日々仕えて下さっている、

O先生、S先生に本当に、本当に感謝です!

ありがとうございます!


学校のために場所を提供し、

サポートして下っている主任牧師先生ご夫妻と教会に感謝です!


祈って応援して下さっている兄姉に感謝です!


何よりもイエス様、ありがとう!ありがとうございます!


私を救って下って!!

こんな私を救って下って!!ありがとう!

In Christ
梶山 直樹

PS:子どもたちの前で、賛美指導しているのはうちの奥様です!
ご苦労様でした!素晴しかったよ!
親として 2007.6.12[Tue]
 


私たちの子供は、今、教会の学校に通わせています。

それまでは、自宅で子どもたちを学ばせていました。


ここまで聞いただけでも、

変だな〜?うさんくさい?と思う人がいるかもしれません。


「子どもをなぜ、学校で教育させないのか?」

「集団の中で生活させないで、子どもが正しく育つのか?」

「社会性が身に付かないだろう!」

「親の一方的な考えで、学校に行かせないとおかしい!」

などと色々言われました。


金沢の教育委員会は毎年、

子どもを学校に来させるようにと、滅茶苦茶言われ続けました。


しかし、私たちはあえて学校に任せず、

子どもたちを自分たちが責任をもって、自覚をもって、

育てて行こうとと決心したのでした。
(もちろん、イエス様中心、御言葉中心ですよ)


こちらに引越してくるまでに3年あまり、

妻が中心となって、ホームスクールを行いました。

いい時間でしたね。子どもにとっても。親にとっても。


「あ〜っ」という間に、子どもは大きくなるんですね。

過ぎて行った時間は戻ってきません。

こどもの成長は待ってくれません。


子どもは、大切な人格の形成期に、

親をはじめとする、主を恐れる方々と触れられ、

祈られて育って行くことが、本当に大切なことだと思います。


今の学校は神様が中心、御言葉中心に変わりはありませんが、

家族の時間を今まで以上に大切にして行きたい、

そんな気持ちで一杯です!
(なかなかできていませんが)


大人は、気づいていても、気づかなくても子どもにとって、

些細な毎日の小さな、小さな出来事の積み重ねが、

後の日に思いもよらない結果へと導く可能性があるのです。


大人であるあなたは、

自分の子どもに、周りの子どもたちに

希望ある日本の将来に、

今日もどんな種を蒔いていますか?


いのちの種をまき続けましょうよ!

日本の希望である彼らに。


お付き合い頂いてありがとう!

祝福を祈りつつ。 
人を変えることば 2007.6.6[Wed]
 
またまた、命の問題に言及したい。

福島で起こった高校生の母親殺害。

警察に自首に来たのは受け入れられるが、

母親の生首持参はただ事ではない。


高校生の通う学校ではお決まりの、

「命の大切さ」を校長が全校生徒に論じる。


私たちは命の尊さを「聞いていない」のではない。

いや、聞き過ぎと言われるぐらい聞いているだろう。


今の時代は、単なるうわべだけの言葉はもう通用しない。


命をかけた言葉が必要である。

命がかかった言葉である。


命がけの言葉は、どのようにして生まれるのか?


ここが大切なポイントである。


いのち溢れる神様の言葉を紹介しよう。


「あなたは高価で尊い」


僕が少し言い換えてみる。


「あなたはすばらしい」

「あなたから目が離せない」

「あなたは特別だ」

「あなたは宝物」

「あなたに夢中だ」

「あなたの存在なしに、考えられない」


どうだろか?神の鼓動が少しは聞こえるかい?

あなたを創られた神からのことばを味わっていただきたい。

祝福を祈りつつ。


PS:結論が出ていない?よ〜く、あなたが考えてみて下さい。


最新のブログへ
バックナンバー一覧
Powered by HL-imgdiary Ver.3.02