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忠実さを求める |
2008.2.28[Thu] |
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ルカ19:26
あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、
さらに与えられ、持たない者からは、
持っている物までも取り上げられるのです。
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自分にあたえられている物を用いることに、躊躇してはなりません。
自分の目では、大した物を所有していないと
思っているかもしれません。
しかし、神様の目にはその小さな物が大切なのです。
小さな物、小さなことの中を怠る時に、
神様が与えようとしている大きなチャンスや祝福を
逃してしまうことになりかねないのです。
神様があなたに与えている「小さなこと」を見逃していませんか?
また、人と比べて自分の持っている物は、
価値がなく役に立ちそうにもない、そう思っていませんか?
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神様の心臓部分 |
2008.2.27[Wed] |
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ルカ19:10
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
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イエスキリストが、この地上に来て下さった熱い思いと使命を
読み取ることが出来ます。
神であることにこだわらず、ご自分を低くされ人類の救いの為に
自らのいのちをもって近づいて下ったのです。ピリピ2:6〜8
今日も、失われた人を探し求めておられる神です。
そして、探すだけでなく責任をもって救って下さるお方です。
今日同じように、失われている多くの人々のことを心を留め、
主と同じ思いでとりなし祈りましょう!
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幼子の信仰 |
2008.2.25[Mon] |
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ルカ18:16、17
神の国は、このような者たちのものです。
まことに、あなたがたに告げます。
子供のように神の国を受け入れる者でなければ、
決してそこに、入ることができません。
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幼子は、ただ純粋であり、単純であるというだけでは
ありません。
素直で、疑うことも知らないのが幼子の特徴でもあるでしょう。
しかし、幼子のもっとも大切なことは、
親がいなければ生きていけないということです。
親にすべてを依存する存在であることです。
いや、親の存在抜きに生きていけない存在であるということです。
天の父は、子である一人ひとりの必要のすべてにいつも最善であり、最高のご計画と備えを用意していらっしゃいます。
一人子主イエス様を惜しまず私たちにお与えになった
驚くべき寛大なお方に、今日も目を向けましょう!
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現実と主の約束 |
2008.2.23[Sat] |
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ルカ17:32、33
ロトの妻を思い出しなさい。
自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、
それを失う者はいのちを保ちます。
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「その日」「人の子の日」という言葉が、印象に残りました。
稲妻のように瞬く間に裁きの日、主の日が来ると言うことです。
それは、ある人にとっては救いの日。
ある人にとっては、史上最悪の日となるということです。
あなたにとって、「その日」は喜びですか?
また、嘆きの日ですか?
主の約束にどれだけ捕えられているでしょうか?
主の霊と主の言葉に支配され捕らえられていなければ、
世と自分の肉の思いに捕らえられ影響を受けているはずです。
今日もう一度、いや、もう一時主の前に静まりませんか?
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神の国はどこに? |
2008.2.22[Fri] |
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ルカ17:20
神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
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イエス様に叫んだ、重い皮膚病の10人は主のお言葉に従い、
祭司のところに行こうとしていた時に、
完全に癒されたことを知ったようです。
見た目では、肉体的な癒しを経験しましたが、
内面が変えられて、感謝を表しに戻ってきたの一人だけでした。
この戻ってきた一人は、大声で神を賛美し、わざわざ引き返して来て、
イエス様のもとにひれ伏して感謝したとあります。
私たちも、肉体的、精神的、霊的な救いと癒しをイエス様によって
頂いています。
この一人のサマリア人内側にお訪れた神の国を覚えつつ、
主に心からの栄光をお返しし、賛美したいものです。
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つまずき |
2008.2.21[Thu] |
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ルカ17:1
つまずきが起こるのは避けられない。
だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。
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教会内で、よくつかわれる言葉のベスト10の中に今日の言葉は
必ず入るでしょう!
「つまずいた」
親しい牧師がこう言っていたのを思い出します。
「つまずくのは、つまずかせる方が悪いに決まっている。
しかし、つまずくというのは、あなたもつまずく要素を
持っているから、つまずくのです」と言ったのです。
はじめから、「つかずく石」を自分の内側に大切に持っているというのです。
あなたは今日、つまずいている理由を人のせいにしていませんか?
あなたの中に赦せない思いや嫉妬という「つまずきの岩」が
ころがってませんか?
あなたが自分の内側にある、苦々しい思いを主の御名により
悔い改め、癒されるように祈りましょう!
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大きな淵 |
2008.2.20[Wed] |
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ルカ16:23
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、
アブラハムが、はるかかなたに見えた。
しかも、そのふところにラザロが見えた。
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生前、貧しさと苦しみの中で生きていたラザロは、
天において、アブラハムのふところで慰められていた、
と聖書は言っています。
必ずしも貧しいからでも、金持ちだからでも、
天国へ行けるわけではありません。
心に留めておきたいのは、
イエスキリストによる贖いのゆえ、救われ天国に行けるのです。
ここで、心にとどまったのは、大きな淵があり、
ハデス(地獄)から見えているという点です。
v,24「 炎の中、苦しんで」いたと書いてあります。
深い淵があり、反対側は見えているのに行けないのです。
「自分がダメなら兄弟が来ることのないように、使いを送って下さい」
聖書が言っている世界を認識し、今日一日歩みたいものです。
死んだ後では、遅いことを覚えつつ。
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驚くべき父の愛 |
2008.2.18[Mon] |
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ルカ15:20
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、
かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口ずけした。
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父親の次男である放蕩した息子に対する熱い思いが、伝わってきます。
この弟は、父が生存中にも関わらず、自分の息子としての権利を
主張し父から財産を頂き家を出て行きます。
しかし、出て行った他国で与え得られた財産を使い果たします。
ですが、そのような息子にもかかわらず、
息子を、心からを待ち焦がれた父の姿を見ます。
また、弟だけでなく、弟が帰ってきたことと、
その弟に対する父の対応にも不満をもつ兄にも、
同じ憐みの心と態度が表わされています。
V,31 子よ。おまえはいつも私と一緒にいる。 私のものは、全部お前のものだ。
この父との関係は、言うまでもなく「父なる神」と私たち
との関係を表します。
弟のように、父の愛から離れていますか?
兄のように父の身近な元にいながらも、
すべてが当たり前で、自分の権利を主張しますか?
今日、天の父親である神との交わりを深め味わいましょう。
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招かれた人たち |
2008.2.15[Fri] |
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ルカ14:24
言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、
私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」
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律法の専門家に対して、神ご自身の宴会に招かれていながら、
自分のことを最優先にした人たちが、
神の宴会に最終的に入れいないことをたとえを使って話しました。
しかし、もう片方では救いからほど遠い人が宴会に招かれ、
晩餐にあずかるというのです。
自分はふさわしくない、と思っている人々が神の宴会の席に招かれ、
自分は大丈夫と思っている人が、実は救いから遠いというのです。
神の前にへりくだり、自らの罪深さや弱さを思う人こそ幸いな人です。
そのような人が、主の主催する宴会にふさわしいのです。
あなたは自分こそが受けるに値すると思いますか?
神が主催する大宴会に出かける準備は整っていますか?
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安息日 |
2008.2.14[Thu] |
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ルカ14:3
イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、
「安息日に病気を直すことは正しいことですか、
それともよくないことですか」と言われた。
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正しさは大切ですが、正しさを主張するあまり周りの人に
気まずい思いをさせたことはありませんか?
律法学者たちは、自らの正しさの基準で人々を縛っていいたのです。
福音にとって大切なことは、「生かされる」ことです。
人が赦され、救われ、癒され、自由になることが最優先です。
あまりにも律法に囚われ、人々を縛り、人間の言い伝えにより、
神の御心を無視している、と主は別なところで律法の専門家を
厳しくせめています。
神の国は、義と平和と喜びが聖霊様によって溢れている
ところです。
信仰生活が、律法的にならないように「めぐみ」に溢れ、
主の「愛」がすべての歩みの動機となりますように!
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富士山と神の国 |
2008.2.13[Wed] |
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ルカ13:18、19、20 新共同訳
「神の国は、何に似ているか。何にたとえようか。
それは、からし種に似ている。パン種に似ている。」
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神の国を何にたとえるか?
弟子たちは、神の国を武力と偉大な権威といったこの世の価値観
で捉えていました、今日、あなたはいかがですか?
神の国は、植物の種の中でも最も小さい種のようだと、イエス様は言いました。
また、小麦粉の中で発酵するイースト菌のようだと言いました。
私たちが思っている小さな祈り。小さな親切。小さな証し。
小さな捧げ物。私たちが案外「小さい」と思っていることが、
大きな神の国をもたらすカギになっているようです。
どんなに小さくても、命かあります。影響力があります。成長します。
力があります。希望があります。良い実が結ばれます。
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準備と忠実さ |
2008.2.10[Sun] |
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ルカ12:40 あなたがたも用心していなさい。
人の子は、思いがけない時に来るのですから。」
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何事にも準備が必要です。食事、掃除、仕事において
良い備えが出来ているかが、
その結果の在り方を決定します。
段取りという言葉も当てはまるでしょう。
霊的な世界でもこのことは当てはまります。
v47「主人の心を知りながら、」
主の御心を知っている者たちは、
主に対して勤勉で忠実、誠実であることが求められているのです。
今日一日、主人の帰りを待つしもべとして、用意はできていますか?
もう間もなく主人はこの地上にお戻りになります。
主人の帰りを準備できている人は幸いです。
v44 「主人は彼に全財産を任せるようになります。」
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恐れなければならないお方 |
2008.2.8[Fri] |
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ルカ12:5 恐れなければならないお方を、あなたがたに教えましょう。
殺した後でゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。
そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
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「恐れる」という言葉は現在あまり耳にしない言葉です。
不安から「恐れ」というものが、私たちの心に入ってきたりしますが、
ここで聖書がいう「恐れる」とは、
ある意味で「敬う」「畏敬の念」を持つといった意味でしょうか?
今日の箇所では「死んだ後にゲヘナに投げ込む権威を持つ方」
を恐れるようにと言っています。(*ゲヘナとは、地獄のこと)
すべての主権者である神様を恐れて歩む人生は、
健全な信仰者として動じない人生を歩ませて下さいます。
逆に、このお方を恐れないクリスチャン人生とは、
常に世の情報や人の声に惑わされ思い煩い、
感情に流され、安定しない信仰生活を送ることでしょう!
マタイ24章では、世の終わりのいろんな現象が記されていますが、
何よりも世の終わりの究極的なしるしとは、
主イエスが再び帰ってこられることだと言うのです。
「すべてこれらのこと(様々な現象)を見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」マタイ24:33
本当に恐れるべきお方を、恐れ敬う人生はどんなことがあっても平安です。
そして、このお方への正しい恐れは、必ず世界宣教につながっていきます。
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外側と内側 |
2008.2.7[Thu] |
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ルカ11:39 すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、
杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、
強奪と邪悪とでいっぱいです。
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パリサイ人が、イエスを食事に招きました。
v17で、「彼らの心を見抜いて、、、、、、」とあります。
主は、律法的なパリサイ人の本音をご存じでした。
主は、人前だけの儀式的な宗教家には厳しく接したのです。
今日、私たちの信仰の歩みはいかがでしょうか?
形だけにこだわり、本質的なことに絶えず目を向けているでしょうか?
人の目が気になりますか?
主のまなざしが、まぶしいほどにあなたの内側を輝かせていますか?
主は、パリサイ人に
v42 「公義と神への愛はなおざりにされている」といっています。
私たちは意識をして自分の外側よりも、
自分の内側に関心を向ける必要があります。
つまり、魂であり、私たちの内なる人を聖め、
建て上げ強くしていことです。
これは、ある人たちだけのことではなくて、
絶えず自分の中にあり、人間にある弱さだと思わされました。
あなたの関心は、あなたの内側ですか?外側ですか?
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ヨナのしるし |
2008.2.6[Wed] |
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ルカ11:30 というのは、ヨナがニネベの人々のために、
しるしとなったように、
人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。
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「この時代のためのしるし」興味深い言葉です。
ソロモンの知恵を聞くために南の女王が地の果てから来ました。
ニネベの人々のしるしとしてヨナが用いられ、
多くの人がヨナの説教に応答しました。
しかし、目の前にいたイエス様を救い主として認めなかったのです。
今日もあなたに「しるし」を与えキリストに目を向けるように
働いてくださっています。
そして、あなたを「この時代」のキリストを示す「しるし」とし
て、用いられるのです。
ソロモンにまさるお方、ヨナにまさるお方を見上げましょう!
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あくまでも頼み続けるなら |
2008.2.4[Mon] |
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ルカ11:8 あなたがたに言いますが、彼は友達だからということで
起きて何かを与えることはしないにしても、
あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、
必要な物をあたえるでしょう!
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友達という義理では与えないが、
あくまで頼み続けるなら与えてくださるということです。
あなたの中にどれほどの願いがあるかは、
あなたの粘り強い祈りにかかっています。
一度や二度祈ったからと言って諦めてはいけません。
あなたが尋ね求め続けるなら必ず必要を与えてくださいます。
そして、神様が私たちに用意して下さるもっとも良いものとは、
聖霊様ご自身です。
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自分の正しさと私の隣人 |
2008.2.3[Sun] |
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朝、礼拝に出かけようとしたら、一面は銀世界。
主をほめたたえつつ、自然の素晴らしさと人間の無力さを感じつつ、
主のなさることは素晴らしいですね!
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ルカ10:29 しかし、彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、誰のことですか。」
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律法の専門家が、イエス様を試そうとした会話からです。
自分が正しいと思って自負する宗教家。
彼らは、自分の基準以外では人を受け入れません。
当然、排他的になり、自己満足に陥る自らの姿に気づきません。
私たちもいかがでしょうか?
私自身、自分の価値感や基準で人を判断している姿、弱さがあります。
今日一日、神の国の視点で考え行動したいものです。
主イエス様は、頭だけの信仰に陥ることなく、
実際に行うように最後進めています。
あなたの隣人を祈りつつ覚え、愛を形に表わし実行しましょう!
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幼子に学ぶ |
2008.2.2[Sat] |
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今朝の早天祈祷すごかったですね!
もう一度、子どもに対する接し方を考えさせられ、
悔い改めさせられました。本当に感謝!
私たちは、サタンが現実に働いており、
狙っていることをもっと自覚する必要がありますね。
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ルカ10:21
賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現わして下さいました。
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主に遣わされた弟子たちは、主イエス様に聞いたことを
単純に信じ従い行動に移しました。
主が語られたことがその通り現実となったことを体験した彼らは、
「主の御名」の力と権威に圧倒されたようです。
このことは、私たちの信仰生活を複雑なものにしないように、
心がけることを教えているようです。
主の御心であれば喜んで積極的に従っていくこと。
偉大な奇跡を体験する秘訣がこのシンプルさにあるようです。
しかし、何よりも心に留めておく必要なことは、
天に私たちの名が記されていることでしょう!
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御言葉の分かち合い:リビングライフ@ルカ10:1〜16 |
2008.2.1[Fri] |
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今日から二月。 2008年KAJIログを「リビングライフ」を軸に、 御言葉の分かち合い中心にアップして行きたいを思う。 よろしくお願いします。
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ルカ10:1
その後、主は、別に七十人を定め、
ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、
ふたりづつ先にお遣わしになった。
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主が、12名をつかわすだけでなくその後、70名をお遣わしになった。さらに、現在の我々も今日主から遣わされている。 心にとどまったのは、「ご自分が行くつもりの町や村に、、、」
主が、自ら行こうとされていたところに、我々を主の代理として「遣わした」というのだ。私たちが、主イエス様の御思いを胸に、それぞれの場所に遣わされて行くことである。今日、主の御思いにどれほど心と思いをとどめて生活しているだろうか? そして、私たちが神の国のスポークスマンとして主の御思いを現そうとしているのだろうか?
今日、私たちを遣わして下さっている。その遣わして下さったお方が責任を取って下さいます。祈りつつ謙虚に、また大胆に主の御心を行わせていただきたいと心から願う。
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