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神をよろこばせる人 |
2008.3.25[Tue] |
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Tテサロニケ2:4
私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、
それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、
私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
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私たちは、神に受け入れられるために福音を語るのではありません。
神に愛され受け入れられているゆえに、
神に選ばれた故に喜んで語るのです。
パウロは、迷いや不純という動機からでなく、また、
誰からも名誉を受けようとしたり、負担をかけまいとして
日夜働きながら福音を述べ伝えたのでした。
福音に捕えられている人は、迷いがありません。
福音に命をかける人は、動機が純粋です。
本当に福音に人生をかける人は、喜んで仕えています。
パウロは、喜んで自分の命までも与えたいと願ったのでした。V8
自分のいのちを与えたいと願うほどの福音の素晴らしさを
味わっているでしょうか?
福音のいのちを絶えず実感し、感動していたいものです。
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影響力のある信仰 |
2008.3.24[Mon] |
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Tテサロニケ1:7、8
こうして、あなたがたは、マケドニアとアカヤとのすべての
信者の模範になったのです。
主の言葉が、あなたがたのところから出てマケドニアと
アカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰は
あらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてもよいほどです。
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テサロニケの人々の信仰は、困難な中で喜んで御言葉を愛し
周りのクリスチャンを励ます存在になっていました。
主のことばがである福音が伝わるというのは、
伝えている人々にも関係してきます。
伝えている人々の主に対する姿勢は非常に重要です。
今日も証し人として、「力と聖霊と強い確信によって」
歩ませていただきましょう!
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干からびた骨 |
2008.3.22[Sat] |
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エゼキエル37:4
「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主の言葉を聞け。
神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。
わたしがお前たちの中に息を吹き入れるで、お前たちは生き返る。」
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エゼキエルの見た幻の一つです。
主の霊によって枯れた骨の幻を見せられます。
そして、その枯れた骨に向かって預言するように語られ、
その命じられたように預言をすると、V7、V10
枯れた骨が、筋と肉がつき皮膚が覆い、
命の息が吹き込まれ、生き返り、自分の足で立ち上がった。
どんなに絶望的な人、国家、環境であろうとも
主にあっては希望があることを語っている。
そのために、主からの預言的言葉がどうしても必要であろう!
御言葉を絶えず、レーマとして預言的に受け取れるように
祈りましょう!そして、その言葉を告白しましょう!
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目が開かれる! |
2008.3.17[Mon] |
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ルカ24:30、31
彼らとともに食卓に着かれると、
イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。
するとイエスは、彼らには見えなくなった。
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食事の席で、主がパンを裂き、彼らが受け取ると目が開かれました。
ここで、目が開かれるとは「イエスが誰であるか?」という
ことを具体的に体験し理解することです。
知識的にイエス様を知っていても、
「イエスを主」として歩むのは難しいのです。
しかし、目の前にいるお方が、あの十字架で死んだはずの
イエスであると理解すると彼らは、
ただちにエルサレムに向かいました。
主との特別な出会いはどのような時代においても、人々を変えます。
また、力強い聖霊の働きは人々を即座に行動させます。V33
あなたの中に、主に心から燃える思いがありますか?
御言葉に対する純粋な感動がありますか?
霊的な目が開かれ、神様が与える召しを受け取れるように祈りましょう!
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さえぎられていた弟子たち |
2008.3.16[Sun] |
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ルカ24:15
話し合い、論じ合っているうちに、
イエス自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
しかし、ふたりの目はさえぎられていて、
イエスだとはわからなかった。
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イエスについての「いっさいの出来事」について
ふたりで話し合っていたようですが、
霊的な理解には乏しかったようです。
その二人にイエス自身が近づかれたのです。
人間的な議論や話し合いに希望はありません。
霊的な領域に目が開かれなければ、むなしく、
律法的になりいのちを失ってしまいます。
「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、
心の鈍い人たち。」
もう一度すでに語られていることを思い出し、心にとどめ、
主に約束の事実を信じ、主の栄光を見させていただきましょう!
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神の国を待ち望む生き方 |
2008.3.14[Fri] |
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ルカ23:51
この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。
彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、
神の国を待ち望んでいた。
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百人隊長は、主の十字架の場面に居合わせ、
「この人は本当に正しい人だった」と告白し、
主を賛美したとあります。
百人隊長は、イエスの十字架上での死の間際までをつぶさに見て、
彼の言動は死に至るまで正しかったと理解したのでした。
ただ単に道徳的な面の正しさだけではありません。
最後まで、罪人を愛するという「生き方」を貫いたということです。
神様の御心を教え行うという、一貫した生き方です。
同じように、イエスの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフ
という政治家も、周りの声に振り回されず、
自分の持っている信仰を貫き生きた人でした。
めまぐるしく変化するこの時代に、あなたはしっかりとした
神の国の価値観と意識をもって生きていますか?
周りに、クリスチャンやまた、私たちのことを理解してくれ
なくても、確信をもった生き方が出来ますか?
今日まず、神の国と神の義をまず第一に求めていきましょう!
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神を裁く人間 |
2008.3.11[Tue] |
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ルカ23:8
ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。
、、、、、、、イエスの行う奇跡を見たいと考えていたからである。
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ヘロデが、イエスに会いたいと願った動機は、奇跡を見たいからでした。
今日、クリスチャンもイエスに出会いたいという人は沢山います。
しかし、その動機はいかがでしょうか?
奇跡を見たいから、主を必要としているのか?
癒されたいから、主に会いたいのか?
不安だからそれを解消するためにイエスに来て頂き、
心の平安がほしいのか?
その次の箇所には、V,9「いろいろと質問をしたが、
イエスは彼に何もお答えにならなかった。」とあります。
今日、あなたがイエスに会いたいと願っている動機は
どこから来ているでしょうか?
たとえ何かが起こらなくても、奇跡がなくても
心から主を愛する愛で満たしていただきたいです。
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肉の力の限界 |
2008.3.10[Mon] |
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ルカ22:61
主は振り向いてペテロを見つめられた。
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ペテロは、遠く離れてついて行った、あります。
イエスから遠く離れてしまうと、
簡単にイエスを否む結果に陥るのではと思わされました。
ペテロは、その後イエスを知らないと「打ち消して言った」
とありました。むきになり「いや、違う!」と否定したのです。
そして、主のお言葉通り鶏が泣き、
主の眼差しがペテロを刺し貫きます。
今日も弱さや罪の中にも、
主の憐みによる眼差しがあなたを照らします。
それは、私やあなたを責める眼差しではなく、
私がすべて代価を払い、呪いと重荷を負った、という
Good News良き訪れです。
今日、がんばって福音に生きようとしてませんか?
主を裏切ったという、自分を受け入れられず
自分を責めていませんか?
主は、今日という日を回復する機会として与えて下さっています。
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タイミング |
2008.3.7[Fri] |
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ルカ22:15
わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、
この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。
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主は弟子達と共に過越しの食事するタイミングを見計らっていた
ようです。切に望んでいたイエス様の思いがくみとれます。
イエス様自らが、過越しのいけにえになることと、
そのことにより新しい契約を結ぶということです。
イエス様が、共に食事をしながらでも、弟子たちに教えたかった
こととは何なのでしょうか?
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待望の日か、呪いの日か? |
2008.3.5[Wed] |
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ルカ21:33
天地は滅びます。
しかし、わたしの言葉は決して滅びることがありません。
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この世の終わりはある人にとっては史上最悪の日であり、
ある人にとっては待ちに待った大喜びの日です。
その日は、あまりの恐ろしさに気を失うほどであると聖書は言います。
天の万象が揺り動かされるほどの考えられない現象が起こるというのです。
阪神淡路大震災やタイ・プーケット島をはじめ多くの被害を
もたらした、大津波など比較にならないほどの現象が
この自然界に見られるというのです。
しかし、主を待ち望む者にとっては良き訪れであり、
「身を起して頭をあげ、、、、解放の時が近いから、、、、」新共同
完全な救いと贖いの成就が迫っているからだというのです。
驚くことなく、怪しむことなく祈りつつ備えましょう!
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覚悟の必要 |
2008.3.4[Tue] |
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ルカ21:17、18、19 (新共同)
わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれまれる。
しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい。
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見た目には素晴らしく、人間的には絶対滅びないと思っていた
神殿が崩壊することと、必ず終末が来ること示している箇所です。
いたるところで戦争がおり、自然界に異変がおこる。
考えられない病気や恐ろしいことがおこり、天にそのしるしが現れる。
そして、これらのことが起こる前に、私たちは迫害され、
王の前に引き出されるというのです。
考えられないことは、今の時代も多々起こっています。
そして、これからも起こるでしょう!
大切なことは、これらのことが起こっても驚くな!
当然起こってくるこことして、
覚悟せよ!ということです。
聖書に書かれていることを、ありのまま受け止め、信じられるなら
何の問題もありません。心配はいらないのです。
そのような人間的に最悪の時でも、主を証しする機会とし、
どんな場合でもクリスチャンを用いるというのです。
その時に、聖霊様が必要な知恵と言葉を与えて下さいます。
準備せずとも、その時に主が与えて下さるという世界です。
恐れないで、大胆に主とともに歩みましょう!
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小さな捧げもの |
2008.3.3[Mon] |
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ルカ21:3
この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん
投げ入れていた。
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たくさん捧げていた人がいたにも関わらず、当時の通貨で最も
小さい貨幣単位です。
しかし、彼女は誰よりも多くを捧げたというのです。
イエス様は、お金持ちを否定はしていません。
しかし、有り余る中からではなく、
乏しい中からすべてを捧げた、彼女を褒めたのです。
マザー・テレサの有名な言葉です。
「どれだけ大きなことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです。」
毎日の小さなことに、いつも心を込めたいものです。
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