石の枕 石の枕 石の枕

一言の不思議さ

先週の続き―――。

坂本龍馬は一計を練った。長州藩を代表する桂五郎と薩摩藩の代表西郷隆盛とを合わせて、手を結ばせようとしたのである。

この二人の首班を代表として、それぞれの藩の代表者が一つの部屋に集まって、食事をすることにした。文字通りすべてのお膳立ては整えられた。

しかしお互いに黙っている。お互いに何も言わない。自分の方から決して持ち出していこうとしないのであった。お互いにプライドが強く、そのことを持ち出すことは自分自身をいやしむことと考えていた。

沈黙のまま一日が過ぎた。次の日も同じく両方の代表者が集まり共に食事をした。それでもお互いに決して切り出さない。三日目、四日目、五日目……十日目が過ぎた。

桂五郎は、会いに来た坂本龍馬に向かって、「自分はもう帰る」と言った。「もう薩摩と手を組むことはできない」と龍馬に宣言した。それまで黙っていた龍馬は、この時初めて怒りの言葉を発したと言われている。

この龍馬は大変心の大きな人物であって、余り怒ることがなかったのであるが、しかしこの時だけは怒った。「桂、お前は何という男なのだ。まだお前は長州藩という狭い所から抜け出ることができないのか」。桂は憮然として答える。「出来ない。自分の方から口を出すことは出来ない。それは屈辱だ」。そこで龍馬は急いで西郷隆盛の元へ走った。そして西郷の前に座り込んで言った。「これでは長州がかわいそうではないか」。この一言のみを語って、西郷をキッとにらみつけた。

この時、薩長連合は成立し、歴史は回転した。一介の土佐浪人から出たこの一言の不思議さを書こうとして、私は三千枚を費やしてきたように思う、と司馬遼太郎氏は言う。

人間の歴史は、小さな出来事、たったの一言が大いなる変化につながる。「起きよ、光を放て!!」

一九九三年一月十七日

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